牡蠣小屋

 コロナのせいで町外に出るなと指導されているベトナム人たちのストレスを何とか取ってあげたくて、お墓掃除を理由に連れ出した。4人が協力してくれたから、お墓はあっという間にきれいになった。このまま帰ったらストレスのスの字も解消されないと思ったので、前島にフェリーで渡ってみた。わずか5分で島に渡れるのだが、結構喜んでもらえたし、桜も中には咲いているのもあって、島の景色、海の景色の両方を堪能してもらった。運がいいことに、牡蠣小屋の最終日に間に合った。牡蠣はベトナムにもあるらしいが、衛生面のせいか知らないが、日本みたいに目の前で口を開ける牡蠣を豪快に食べることはしないみたいで、小屋の人が驚くほどたくさん食べた。
 そうした数時間の楽しみを提供できて僕も満足だったのだが、そこで耳寄りなことを聞いた。というのは桟橋につながれていた船を見て不思議に思っていた。わずか1年くらい前に華々しくデビューしたはずの船がひっそりと、岸壁の隅に係留されていたのだ。まだ新しいはずだが、華やかさは全くなかった。細長い観光船で、牛窓から犬島を経由して岡山まで、かつて戦後、僕たちがしばしば利用していた航路を復活させたものだ。その船がまるで忘れられたかのように僕の目の前にあるのだ。彼女たちは叱られるのを覚悟で乗り込んで写真を撮っていたが、叱られるほど人目を惹かない。
 牡蠣を食べながら世話をしてくれていた前島フェリーの人にその船の話をすると、あまり船のことを知らないある会社が、採算が合わないことを理由に前島フェリーに守を頼んだみたいだ。彼は僕が宇野高松航路のフェリーをこよなく愛していたことを知っているから「乗るフェリーがなくなって寂しいじゃろう、アノ船乗せてあげるよ」と言った。69人乗りの船だから、牛窓工場の全員を乗せても余るほどだ。それで値段を尋ねてみると、僕が数回高松にベトナム人をコンサートに連れて行く値段ぐらいを提示してくれた。それなら不可能ではない。秋に乗った原爆ドームから宮島に直行する船とそっくりだ。あの豪快な走りも記憶に新しいから、コロナが収束したらぜひ実現してみたいと思った。
 牛窓にも良い観光資源がある。漢方薬を取りに来てくれる人は結構遠方からの人も多い。オリーブ園を定番に勧めていたが、前島もお勧めだ。もう一ひねりしたらかなりの観光スポットになりそうだ。僕が孫さんくらい金を持っていたらすぐにでも整備してあげるのだが、所詮庶民は何をやっても「損」さん。