背筋

 古い人間だから、現代の機械にはついて行っていない。いや現代のルールにもついて行っていない。親しい?患者さんについ最近、常日頃感じていた新しい疑問をぶつけて教えてもらった。そこで得た知識で、今ここで皆さんにお願いしておこうと思う。
 というのは、僕ら手紙派では考えられないのだが、文末に名前を書かない人が半数以上いる。いやいや半数どころか7,8割くらいは名前がないと思う。どうしてだろうとずっと考えていたのだが、まさに時々メールをくれる親しい患者さんが来たから尋ねてみた。「メールに名前がないからすぐには誰のか分からなかった。だけど内容で当然、自分(貴女)のだとはわかったけれど、これからは文末にでも名前を書いといてくれん(ください)」
 すると彼女は、スマフォでメールをしたら誰からのものか分かるらしい。スマフォからスマフォと言う意味かもしれないが。だから僕みたいにパソコンで受信する人間に、発信者の名前がわからない状態で届くことを知らなかったのだ。「そうか」と気が付いたみたいで、実際にその後は名前を必ず書いてくれている。
 実は今日再び新規相談お断りのお知らせをしてもらった。目の前に10数人の交渉中のカルテが並び、その一人一人の様子が想像できなくなったのだ。お会いしたことがない人でもいろいろな情報をもらえば、架空の人物像が出来上がる。その人物像にあわせて薬をつくるのだが、像が重なり合って、まるでお会いしたことがあるくらいまでの人物に育たなくなったのだ。これでは薬が効く確率が下がる。そのために相談中の方をせめて片手くらいに減らさなければならない。調剤中はずっと立っている。その合間にパソコンで返信をする。こんな田舎で不思議かもしれないが「名前のないメールが誰から来たものか探す時間」が僕には痛い。
 現代の機械の進歩について行っていないくせにおこがましいが、できれば昔の日本人のように差出人の名前を書いてほしい。これが本当の悲痛な(背筋の)叫び。