しゃれ

 今日明日と薬局の改装工事のために、仕事ができない。薬局の中のものをすべて外に運び出し、床も天井も張り替える。エアコンも2台新しいものに変えるし、店頭の看板も変える。十分どれも綺麗だと思うのだが、娘の考えでは賞味期限が切れているみたいだし、エアコンは臭うみたいだ。僕には臭いは分からないが。
 娘が帰ってきてから随分と薬局はきれいになった。僕がやっていた頃には、どこにでもある薬局だったが、今は田舎の割には、あか抜けているらしい。多くのセールスが褒めてくれる。
 というわけで今日は朝から居場所がない。日曜日に薬を作らないと言う経験も何年振りかだろう。作ろうにも作れないからあきらめは意外とついているのだが、何回かに分けてウォーキングをしたり、何十年ぶりのラジオ体操をしたりしても、背中の凝りは取れない。薬を作らないから立ちっぱなしでもないし、パソコンの前にも座れなかったから、筋肉の悲鳴も収まるのかと思っていたが、若干の改善で終わった。もう一日でどのくらい改善するか分からないが、願わくば、2階に上がってマッサージ器をかけながらの仕事からは解放されたい。
 業者の人が引き上げる前に、せめてパソコンだけでも使えないかとお願いしていたら「せめてパソコンだけは」使える状態で、暖房のない薬局で、電気がつかない中、災害用に買っていたランタンを灯しながらこの文章を書いている。
 多くの方がそうであるように、自分の仕事もエンドレスだと言う実感を強く持っている今日この頃だが、確かに今日のようにめったにない日でも、段取りばかりが頭に浮かんでくるから、エンドレスの呪縛から意識的に逃れられる可能性は低い。その背中を押すのが背中の痛みだったとしたら、しゃれにもならない。いや、しゃれそのものだ