画期的

 「私にとっては画期的かも」これは褒め言葉なのか、はたまた単なる感動表現なのか。  大したご馳走は出来ないが、折角牛窓に来たのだから瀬戸内の魚を食べさせてあげようと、妻は魚屋さんに通っている。北陸の海の幸が豊かなところから来た女性に、瀬戸内海の魚が太刀打ちできるのか自信はないが、それでも美味しい美味しいと言って毎日食べてくれるのでこちらも嬉しくなる。  昨夜は生きのいいシャコが売られていたらしくて夕食に大きなお皿に沢山載っていた。我が家ではもてなしによく使うのだが、北陸の女性もさすがにシャコをあるがままの姿で見たのは初めてらしくて、食べ方を説明しても何となくそのグロテスクぶりに圧倒されて恐る恐る口を付けていた。ところが一口食べるやその美味しさに驚いたみたいで、冒頭の画期的発言が出たのだ。田舎にある割にはモダンな薬局だとか、漢方を良く作る薬剤師の割にはハンサムだとか、漢方薬をこんなに沢山の人が今の時代に利用するのかとか、画期的という単語を使うチャンスは多いと思うのだが、使われた対象がシャコなのだ。もてなしだから喜んでくれたのは嬉しいが、せめて僕のあか抜けた身なりとかに使ってくれたら、接待に拍車がかかるのだが。
この女性は我が家に泊まってこそ完治する条件が整うことが分かった。そしてその成果が目に見えて現れている。完全に解放されて帰って欲しいが、次回会うときは画期的な彼女の変身をみたい。