時代遅れ

 毎朝見ている韓国ドラマで、やたら目に付くのがスマフォを使っている姿だ。主人公の若者たちは当然として、その両親、或いは祖父母世代が使っている場面も頻繁に出てくる。
 その分野では日本より進んでいる韓国だから、そうした日常が反映されていても不思議ではないが、劇だけの話か、実生活でもそんなものかと判断がつきかねる。
 電話機能とメール機能の両方を使いこなせることが出来るから、さもありなんと思うが、スマフォがない時代にはどうだったのだろうと少しばかり考えさせられる。時代と言えば大げさだが、僕は持っていないから、時代をさかのぼらなくても今の僕の生活ぶりそのものが「スマフォがない時代」そのものなのだ。
 あれば便利かなと思うこともないことはないが、無くて困ったことはほとんどない。なくて不便なのを補ってくれるツールはいっぱい街中に落ちていて、スマフォがなかったころと同じ発想、同じ行動で物事は回っていく。機械に疎い僕がもし持っていたら、少しの便利と引き換えに大きな失いごとをしてしまいそうだ。ニュースなどを見たり聞いたりしていると「僕なら引っかかっている」ようなことは日常茶飯事だ。
 大きな災害に遭遇して「助けて!」と叫んだりメールを打つことさえなければ、時代遅れも「これまた楽し」

 

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