貢献

 殺処分寸前のノンちゃんが、来る早々6匹の子犬を産んだ。娘は7匹の面倒を見ているが、3ヶ月になったので本格的に育ててくれる人を探している。1匹はすでにもらわれていき、もう一匹は14日に引き取られる。
 最近は、少し人間に慣らさなければならないので薬局につれてくる。一度につれてくることは出来ないから日替わり定食だ。今日来たのは長女で、体格もいいし頭もいい。実はその子に目をつけてくれた方が、今日引き取りに来られた。試験的に数日つれて帰り、飼えるようだったら引き続き飼い主になってくれる。娘が飼うに当たっての知識を教授している間、その子を見ていたが、すばらしい旅立ちになるはずなのに、寂しくて涙が出そうになった。ほんの数時間しか接触はなかったのに、そんなにスキンシップもしていないのに、寂しかった。いや、それは違うな。飼い主が決まりそうなのが嬉しかったのだ。野良犬の子供が幸せになるチャンスを与えられた。本当は生まれてこなかった子が、こうして大きくなり快活に動き回っていることが奇跡のように思えたのだ。
 犬だからではない。もしこれが人間ならもっと感動して喜び涙を流しただろう。恐らく世界には、この子犬と同じような運命をたどっている子供達が多いのではないか。そうしたことに無知で、ほんの些細なことにもお役に立てない非力さを、犬を通して思い知らされたような気がした。職業柄、人のお役に立ちたいと思う気持ちは年を重ねるにつれて強まる。肉体を動かして貢献できるものは随分と離れていったが、削ぎ取った不浄のおかげでより深い貢献が出来る場所があるような気がする。