郷愁

 玉野教会のミサが終るとすぐに駆けつけたのだが、フェリー乗り場に着いたときには、これだけの人が乗れるのだろうかと思うくらい、長蛇の列だった。その危惧は、20年近くガラガラのフェリーに乗り続けたせいで、実際には一人の客も1台の車も積み残されることはなかった。やはり大きな船だったのだ。カメラもスマホも持っていない僕だから、全て印象として頭の中に保存するしかない。瞬間瞬間の景色を切り取っても恐らく残るのは、思い出と言う郷愁だろう。海の青さや風の心地よさや、広がる青空やエンジンの音や、それぞれの人生を一休みする乗客達の風情、そんなたわいもないことのすべてが僕には至福の時間だった。多くのベトナム人を案内したが、船上では僕の心はいつも一人だった。片道1時間の与えられた孤独は、何にも変えがたい内省の航路だった。
 夕焼けと競うように、高松の街に灯りがともり、街が遠くに見え出した頃入れ替わった。高低のあった夜景がやがて1直線になった頃、僕の小さな、そして大きな旅の形が終えたことを悟った。