四国フェリー

 1年に数回利用させてもらっている四国フェリーの便数がこの春、減るらしい。便数どころか船の数も1つ減って2艘になるらしい。大赤字を出しながらの営業だから仕方ないといえば仕方ないが、フェリー大好き人間の僕には残念な話だ。  乗るたびに確かにこれでやっていけれるのかなと思っていた。利用する側としては、いつも閑散として、4人がけのテーブルを一人で独占して1時間の船旅を楽しむことが出来るのだからありがたいが、営業的には持たないだろう。それが証拠に結構船は傷んでいる。安全には支障ないのだろうが、一抹の不安は感じる。  22日にはかの国の青年を7人連れて丸亀に龍神太鼓を聴きに行く。ゆったりと行ける最後になるのかなと少し残念だ。瀬戸大橋を使えば丸亀には牛窓から1時間半で行けるらしいが、運転する僕はひたすら前を見続けるだけで、なんら楽しみはない。それよりも風を感じ、波を感じ、遠ざかる玉野の街、すれ違う漁船、頭上で遊ぶカモメ達を見ている時間のほうがはるかに価値がある。不思議なことにかの国の青年達も、瀬戸大橋よりもフェリーを好む。僕に合わせてくれているのではないと思うが、想像を絶する技術力より1時間の船旅を望んでくれる。  四国フェリーがなくなることってあるのだろうか。自治体や県が補助しているらしいが、いずれ自然消滅させるのだろうか。合理性の追求だけが正解の世の中にあって、生き残れるのだろうか。過疎の町で消えつつある商店と同じ光景に見える。大手に駆逐され、ブルドーザーのように根こそぎつぶされて、そして何もなくなり、大手もやがて去っていく。残されたものたちはより不便を強いられる。戦闘機一機分で半世紀の航行を保証されるが、スパーリッチ達には、アメリカさんに物を買ってもらうことしか頭にないのだろう。そんな人種を支えている哀れな下層の人間だけが錆びたフェリーに乗る。