粟利郷

 粟利郷と言うところは、後ろに低い山、前に入り江、間は畑と言う、自然しかないところだ。ただ湾は締め切られ塩田に変わった。僕の世代が塩田なるものを見た最後の世代かもしれない。その後塩田は畑へと変わって行った。要は畑の中に家がほんの少しだけ点在しているイメージだ。  長浜は牛窓町を構成している3つの地域の中のひとつだ。他に牛窓と鹿忍がある。牛窓町の中心の牛窓地区、長浜は完全に農村部、鹿忍は半農半漁の地区だ。  牛窓町瀬戸内市を構成している3つの町の中のひとつだ。市役所や市民病院など中心部が邑久町、電車の便がよく若い世代が住む町が長船町、そして自然を売り物に農業や漁業、それに観光を受け持っているのが牛窓町。  瀬戸内市は県内でも小さいほうだ。数万人しかいないが、無理やり合併して市になったようなもので、今だ郡でもいいようなところだ。市としての魅力はほとんどないといっていい。岡山や倉敷、津山や総社、新見や玉野、それぞれの持つ個性には到底及ばない。  岡山県は災害が少ない分、人情と言うか連帯感と言うか、そうしたものが育つ土壌がない。田舎の癖にクールかもしれない。嘗ては教育県と言われていたらしいが、僕に言わせれば自称だろう。何を根拠に言っているのだろうと当時から思っていた。これまたアピールできるものが少なく、僕は患者さんが来たときにはほとんど香川県を案内する。  粟利郷で生まれ育った青年が嘗て僕のバレーボールのチームにいた。いつか試合の打ち上げをしているときに彼が面白いことを言った。「ワシらあ、馬鹿にされっぱなしじゃあ。小学校の時には粟利郷の人間か!と言われ、中学校の時は長浜の人間か!と言われ、高校の時は牛窓の人間か!と言われ、倉敷の工場で働き出したときは瀬戸内市の人間か!と言われたんじゃ」  でも結局彼は、その粟利郷に帰って来た。