帰省

 「900kmくらいですから」と笑いながら簡単に答えた。僕にはその数字を感覚では捉えられない。いつまで走ってもその数字は減らないのか、それともあっという間に過ぎ行く時間なのか。  イメージできるとしたら新幹線を利用した場合に換算してのことか。岡山から東京まで時速200kmのひかりに乗って4時間、広島から岡山までと東京から茨城までの距離を加えると彼の言う900kmもなんとなくイメージできる。ただ、新幹線とローカル電車を乗り継いでその距離を移動しろと言われたら後にひく僕は、車で行って来いといわれたら、死んだ真似をして熊が通り過ぎるのを待つしかない。それも行けば必ず帰ってこなければならないので距離は倍になる。その距離と時間は僕にとってはもう月面着陸だ。無理無理無理を連呼しなければならない。  若さか慣れなのか、そのセールスは広島から茨城県までの帰省を車ですると言う。お子さんが何人いるのか分からないが、確かに新幹線で往復すると戦前なら家が建ちそうなくらいの出費になるだろう。倹約をしなければ親孝行もできないのはわかるが、僕には命がけのように思える。  ところが彼曰く、車も新幹線利用もそんなに時間は変わらないらしい。僕の1時間が彼の何時間なのか分からないが、むしろ車での移動を楽しむお子さん達のせいもあって、圧倒的に「楽」なのだそうだ。少しでも楽に走るコツとして、交通量が少ない夜間に走るらしいが、そうすれば高速料金も安いし渋滞にも引っかからないらしい。広島を夜に立つと中央道経由だと丁度富士山が見えるあたりで夜が明けるらしいから、それはそれは美しいらしい。  彼の当たり前が僕には武勇伝に聞こえるが、心の底ではいつか挑戦してみたい気もある。ただしそのチャンスは、誰も僕がいなくなっても悲しまないこと、むしろ喜ぶ状況になった時だ。それは遠い将来のことではない。もうそこまで来ているかもしれない。いやいや、今も十分その条件を満たしているかもしれない。自分が気がついていないだけで・・・