まるでお経のように人々の声が重なって流れていく。僕はその流れの中で好奇心を大いに満たしていた。ただ2年前に同じ体験を広島でしていて、もう一度経験したいとずっと思っていた。今日その願いがかなったことになる。 40人近い若者が聖堂に並んでいたから全員がクリスチャンかと思っていた。ミサが始まると3分の1くらいの青年がぎこちない動きをしていたから、クリスチャンでないことがわかった。ということは、クリスチャンでないのにカトリック教会にやってきて、信者の青年たちとミサを受けていたことになる。 神父様がかの国の人だと言うこともあるのだろうが、遠く国を離れて何かに頼りたくなったときにそこにキリスト教があったのだろうか。そう言えば牛窓から連れて行った中にも熱心な仏教徒が2人いて、手を合わせて祈っていた。 最終のバスが岡山駅4時発というからかなり不便なところからやってくる子がいる。ミサが4時からだから、参列することが出来ない。せっかく同胞の神父様と参列者が集まるのに、泣く泣く不参加を決めていた。1月前、偶然その話を僕の前でしていたので、今回ミサを受けてもらって僕が送っていくことにした。牛窓から連れて行った子達とドライブがてらと考えればそんなにしんどい距離でもない。  送っていく場所は行ったことがないところだからカーナビ頼りと言うことになる。ほぼ目的地辺りまでは簡単にたどり着けたのだが、まさに目的地かという辺りで急に山道に誘導された。以前ならカーナビは次善の策なのだが、主観頼りで裏目ばかり経験したので、最近はカーナビを頼り切ることに決めている。だからなんとなく不安になるくらい狭いくて急な登り道でもあえて進んだ。ところがそのうち恐怖を覚えるような道になったのでさすがに僕もためらった。運のいいことに丁度そのとき道路の下の田んぼでおばさんが働いていた。おばさんいわく、僕が目指している地名と同じことを言ってたくさんの車が迷い込んでくるらしい。そして先週は僕が車を止めたまさにその場所で車が転落したらしくて、道を教えてくれた後「気をつけてUターンせられえよ」と声をかけてくれた。  僕は深々と頭を下げて車に乗り込んだ。こうしたちょっとしたことに感動し深々と頭を下げることが出来るのはとても嬉しいことだ。頭は下げられるより、下げるものと決めている。