伴奏

 よかった何も知らないで。2人で胸をなで下ろした。  教会ではミサの間に数曲、典礼聖歌と言われるものを皆で合唱する。どの時代に作られたものかしらないが、現代的な歌と違ってなかなか上手くは歌えない。リズムを刻むことが無く浪々と流れるように歌うものなので、身体で覚えて身体で歌うようにはいかない。頭で覚えて頭で歌うとしたら、これはもう一種の行だ。  聖歌の伴奏は2人の女性が交替で担ってくれている。2人とも僕と同じくらいの年齢だから、結構昔はいいところの出だったかもしれない。当時僕と同級生でピアノを習っていた女性は牛窓には一人しかいなくて、彼女は町の有名な家の人だったから、教会の2人もひょっとしたらいいところの出なのかもしれない。もっとも今その片鱗は辛うじて宇野港の浮き桟橋に寄生している海藻くらいしか残っていないが。  ミサの後で神父様が当日初めて玉野教会を訪ねてきた人を見つけて自己紹介を促した。僕より一回りくらい若い女性だったが、自己紹介の中で職業を「ピアニスト」だと言った。そう言われれば見るからにあか抜けていて不思議とそれらしく見えてくる。こうなれば可哀相なのが○○さんだ。昔取った杵柄でミサのお手伝いをしているのだけれど、ピアノは一所懸命だけが売りのようなレベルだ。丁度僕のフィリピン人が歌うときのギター伴奏の腕と同じくらいだ。僕は神父様に頼まれてやっているのだが、それこそギターが上手い人がいたらとてもその人の前では恥ずかしくて弾けない。ピアニストだったら、僕の適当な調弦や伴奏も耳についたかもしれない。  でも僕達はそんなことはつゆ知らず、いつものように懸命に役割をこなした。○○さんの実際はどうだったのか分からないが、ピアニストと聞いたのがすべて終わった後でよかった。初めから分かっていたら一体どうなっていただろう。2人で死んだ振りでもしないといけなかったところだ。相手が熊ではないのだからそれが通用するかどうか分からないが。  ミサが終わってみんなでコーヒーを頂いているときに話しかけようかと一瞬迷ったのだが何故か躊躇われた。素人がおこがましすぎると思ったのか、それともそそくさといなくなっていた○○さんのことを思いやったのか。でもちゃんと挨拶だけは考えていた「ナルシストの大和です」と。