国籍

 ミサの間、後ろの席から聞こえる小さな声は、御堂に集まっているかの国の青年たちとは、30人くらいいたと思うが、微妙に違っていた。チャンとか、チョイとか、間に小文字を挟まなければ表現できないような音に聞こえるかの国の言葉と違って、滑らかな音に聞こえた。なんとなく気になっていたので、ミサの後にその二人連れに尋ねてみた。見るからに外国人なのに日本語で尋ねることができるのは僕が歳を寄せたおかげだ。図々しくなったことと、英語が話せなくても恥ずかしくなくなった居直りと、日本語の美しさにますます誇りを持ったことによる。  二人の若い男性は、顔つきも明らかにかの国の青年とは違っていた。偶然かもしれないが二人ともハンサムで、見るからに知性があふれ出ていた。何人かだけ気になったのでそのことを尋ねたのだが、答えた後「それでは失礼します」と言って先に御堂から出て行った。ぼくは100%言葉が分からないかの国のミサが好きだ。偶然かの国の神父が玉野に赴任して、月に1回だけ岡山教会でかの国の青年たちだけのためのミサをたてる。まるで歌うように式が進むのを子守唄のように聞くのが好きだ。そんなミサがすんだ後、ヨーロッパ人の神父がやってきて、なぜか僕に感想を言い始めた。「いいミサですね。ベトナム語は、本当の(イスラエルの)言葉に近いのでしょうね。その昔、上手く訳すことが出来たんでしょうね。日本語は、仏教徒が訳したからその影響が出ています」と教えてくれた。これは偶然広島教会でかの国のミサに初めて参加したときに僕が得た感触と同じだ。「ああ、同じ感慨に耽られたのだ」と、あながち僕の感性が的外れでなかったことが嬉しかった。 数分遅れて御堂から出て行ったら、さっきの青年がかの国の一人の女性から、彼女は姉をシスターに持つ敬虔なカロリック信者で、ミサも仕切っているのだが、パーティーに出席するように請われていた。二人連れは困惑していたが、僕も出席するからと言うと、ためらうことなく会場についてきた。同じ東洋人でも言葉が通じなければ、打ち解けようがない。ましてシャイな若者が多い東洋人は難しい。そういった中では図々しいおじさんは接着材として重宝なのだろう。  二人の男性は、どちらも岡山大学の留学生だった。工学部に属しているらしいが、まだまだその分野の差は大きくて、学ぶべきところはいっぱいあり、それを国にもって帰りたいと言っていた。留学生だから生活費はすべて奨学金でまかなっていて、沖縄旅行に行ってきたばかりだといっていた。日曜日も働いているかの国の若者とは雲泥の差だ。おまけに日本語試験の一級を持っているから、いよいよ僕がいないと接点が生まれなくなってしまいそうだ。片や国のエリートとして責任感と期待を胸に来日し、片や生活水準の向上のためにただひたすら働くために来日し、それが教会と言う接点で集った。双方をつなぐのは信頼できる神父か、得体の知れないおじさんしかない。  「自分達の国は幸せいっぱいの国なの?何の不安もないの?」と尋ねると、少しの沈黙の後「飛行機がよく落ちます」と答えた。「なんだ、自分たちはマレーシア人か?」