群れ

 やたら日本人の優位性を誇張する週刊誌や新聞が目に付くが、それと表裏一体で、周辺国を侮辱するようなことを書くが、そもそも本当に自信がある人は喧嘩しないのと同じように、自信を喪失した人たちが陥る悪癖だ。それがメディアと言う一種の力を持っている集団だから余計たちが悪い。売れればいいの一点でなりふりかまわずと言うのだろうが、その罪は大きいし、何しろ品がないから目にするのも不愉快だ。  僕はこの国の現代人が何を誇れるのか、誇るのかあまりピンと来ない。漫画とかカワイイ何とやらはまさか誇れるものではないだろう。日本食なんてものは現代人が作り出したものではなく、時代をさかのぼる。科学も医学も、最近の醜聞に接すると意外と頼りないものだと気がつく。まるでオリンピックやワールドカップで独りよがりな煽りのせいで、本質を見ることなく無知をむしろ晒しているようなものだ。  まさかこの期に及んで、日本人の精神を誇るなんてことは間違ってもないだろう。公衆道徳なんて地に落ちているし、正義や勇気は探すのに苦労する。福島に目をやれば、愛なんて存在しないことが分かるし、絆なんてのは、為政者が自分たちの特権を守るために持ってきた言葉だ。にやにやしながらオリンピックの招致会場で「お、もっ、て、も、い、な、い、し」と言った口が渇かない間に東北人は見捨てられた。  知性のかけらも感じられない着飾った若者たちの、非生産的な生き様に比べて、発展途上国と言われる国の若者たちの生きていくためのエネルギーや知的な好奇心や、礼儀作法にむしろ精神の優位を感じる。とうに精神面では追い抜かれていると思う。近い将来、あらゆる生産活動でも追い抜かれ、日本人の若者が彼らに養われるようになるだろう。多くの無機物に囲まれ、無機質な関係の中で、庇護の下で遠吠えする非力な群れにしか僕には見えない。