漢字

 長年の疑問が解けた。僕の疑問が幼稚なのか素朴なのか分からないが、納得だ。恐らくどの国にも同じような経緯があったのだと思う。  もう10年位にはなると思うが、教会に行きだして、多くのフィリピン人と知り合った。そして数年遅れること、多くのベトナム人とも知り合った。そんな中である疑問が起こり、何度か尋ねてみたが、納得の行く答えを今だ聞いた事がない。それが数日前に毎日新聞で答えとなるような記事を読んだ。  戦後アメリカは日本にローマ字を強要しようとしたらしい。漢字の使用を禁止してローマ字を唯一の文字にしようとした。理由は、戦前の漢字教育によって軍国思想が叩き込まれたと彼らが考えたからだ。それに賛同する日本人もいたが、国語学者たちが反対したらしい。そこでアメリカは、漢字テストをして、日本人があまり書けないならいっそのこと変えてしまおうと提案した。その結果、日本人の識字率はとても高くて、断念したということだ。要は、国語学者たちが漢字を守ったってことだ。    タガログ語ベトナム語も、何故アルファベットなのか僕にはどうしても理解できなかった。実際に聞くと分かるが、とても英語やラテン語、果てはドイツ語にイタリア語、どれとも似ていない。関係ないが、顔なんか天地の差がある。それなのに何故アルファベットで書いてしまうのか。その延長線で僕は、ひょっとしたらそもそも文字がなかった国なのかと思ったりもした。彼らに尋ねても、昔は中国の影響で漢字があったなどと教えてくれた。ではどうして漢字などを放棄したのだろうと思い巡らしたが、答えには出会わなかった。そんなときに読んだ新聞が上記のエピソードを伝えていてハッと気がついたのだ。恐らく戦後すぐの日本のように、植民地化されたときに強制的に固有の文字を奪われたのだ。恐らく資源や土地や財産などを奪われたのだろうが、とても大切な文化まで奪われたのだ。  僕は外国人に日本語の豊かさをしばしば口にして、実際に日本語の中で美しい言葉と思われるものを紹介する。物やお金では買えないとても大切な財産だ。かの国々はそれらのものをあっさりと捨ててしまったのだろうか。精神を売り渡してしまったのだろうか。  「オトウサン、ローマジダケダカラ ベンリ」と屈託なく笑うが、僕には哀れにしか映らない。年とともに日本語の美しい表現に気持ちを洗われることが多くなった。かの国の通訳などはそのことに気がついてベンリなどとは言わず、面白いと表現する。恐らく趣があるという言葉に近い面白いだと思う。日本人に生まれてきてよかったなどと誰かが喜びそうなことは言わないが、漢字が残っていて良かったとはつくづく思う。