ガリラヤの丘

 ミサの最後の方で聖体をいただく儀式がある。10円玉くらいのパンなのだが、キリストの身体、命をいただくことになる。その儀式の途中からパイプオルガンを弾いてくださる方がいるのだが、今日は「ガリラヤの丘」と言う讃美歌だった。本来ならみんなで歌うのだが、コロナのせいで大声で歌うことは出来ない。オルガンの音だけが厳粛な儀式の中で流れる。その音色を聞きながら僕は思わず涙ぐんでしまった。そのくらいこの1週間しんどかったのだ。ミサの間も懸命に踏ん張っていただけだ。
 同業者が廃業して、どんどん少なくなっていったからだろう、こんな田舎の無名な薬局にも漢方薬の依頼が相次ぐ。できるだけ期待に沿えるように頑張っているが、ほとんど飽和状態を突破している。体調に合わせて、そして広島から手伝いに来てくれる薬剤師のスケジュールなどを考慮して頑張っているが、飽和状態は解消しない。1週間くらい前から、息苦しさや、気が遠くなるような感じが周期的に襲ってくる。倒れそうになるのを我慢して頑張っているといつの間にかその症状が消える。これは良かったと安堵しているとまたその症状が復活する。持続しないから病気ではなく、自律神経が調子を乱しているのだろうと想像できるが、気力だけでは乗り越えられなくて、週の中ほどから漢方薬を作って飲み始めた。何とか仕事をこなせれるが、体調不安はぬぐえない。
 今朝も教会に行くのを躊躇していた。忙しくて日曜日も家で注文をこなしているほうが月曜日が楽だから、教会どころか外出が明らかに減っている。今日は朗読の当番だからどうしても行きたかったが、途中で失神でもするのではないかと不安だった。案の定、ベトナム人を二人連れて行ったのだが、途中で、後悔するくらい運転がつらかった。
 その1週間悩まされていた不快症状がある一瞬を境に好転するのではと感じた。それはミサの後の茶話会で、新しく来られた神父様と話をしていて、最近の負荷のかかり過ぎをつい口に出してしまった時だ。それは僕の日常とは全く逆のことなのだ。皆さんの悩みを毎日20人以上聞いているが、自分の悩みや苦痛を訴える相手はいない。いや聞いてもらえる相手はいない。何か月ぶり?何年ぶり?につい弱音を吐いてしまったのだ。それを神父様と傍にいた僕より少し年上の女性二人に聞いてもらった。オルガンを弾く方だったので、今日の選曲のお礼も言うことができた。10分?15分?20分?どのくらい話ができたのか分からないが、その間に明らかに体が変わるのを感じた。
 そして、それを確かめたくて、同行していた2人のベトナム人と、教会で会ったベトナム人一人を連れて、四国水族館に行くことを決めた。自信はなかったけれど、ぜひ1週間に及ぶ不調を克服して分相応でいいから人のお役に立たなければならないと思ったのだ。やはり瀬戸大橋を渡るあたりまでは来なければよかったと思うほどしんどかったが、いざ水族館に到着して、「生まれて初めての経験」と言って喜ぶ彼女たちを見た瞬間から、完全に嘗ての体調に戻った。
 そうなのだ、意外にも僕はかなりのダメージをコロナで被っていたのだ。不真面目信者ではあるけれど教会に行き、和太鼓のチケットを買いまくり、月に2回はコンサートに行き、来日したてのベトナム人は神戸や姫路などを案内し、帰国するベトナム人には京都と広島を案内していた。そうした僕の仕事以外の行動がほとんど消えていたのだ。仕事は好きだけれど、仕事だけをする人間ではなかったのに、完全に片肺飛行になっていた。
 昼前に教会を出てからも何回か襲ってきた不調時に「ガリラヤの丘」を口ずさんだ。どうして神様に救ってもらうように頼まなかったのだろうと後悔いっぱいの1日でもあった。
1. ガリラヤの風かおる丘で 人びとに話された
恵みの御言葉を わたしにも聞かせてください
2. 嵐の日波たける湖うみで 弟子たちに諭さとされた
力の御言葉を わたしにも聞かせてください
3. ゴルゴタの十字架の上で 罪人を招かれた
救いの御言葉を わたしにも聞かせてください
4. 夕暮れのエマオへの道で 弟子たちに告げられた
命の御言葉を わたしにも聞かせてください