総合点

 インド人もびっくり。  元旦のミサにかの国の女性を3人連れて行った。腰掛けたのは、祭壇に向かって、妻、僕、彼女達だ。3人はクリスチャンではないけれど、荘厳な雰囲気が好きなのか、祈りたいことがあるのか、希望されて連れて行った。普段ならベトナム人の神父様がおられるのだが、帰国されているらしくて、代理の神父様が来られていた。背が高くやせていて、色が黒くて彫が深い。となるとインド人かなと勝手に考えていたが、ミサ後にみんなでお茶を飲みながら談笑をした時、やはりインド人だと教えてもらった。  その神父様が、僕らのことを夫婦と子供達と思っていたらしい。小さな教会で信者が20人くらいしか参列していなかったので、至近距離から全員を見ることが出来る。それでいて本当の親子に間違ったのだから、各々が如何に日本人に似ているかってことだ。インド人が見たから勘違いしたのかもしれないが、僕が見ても日本人そっくりなのだから、間違っても不思議ではない。  そう言えばミサの後、近くにいた老人が挨拶をしてくれたので3人を紹介した。「山本さんと、野口さんと 土井さんです」と。するとその老人は全く疑うことなく日本語で挨拶をしてきた。簡単に信じてしまったので僕も居心地が悪くなったが、そばにいた妻が種明かしをしてくれた。  「髪と目と顔の形」とは、僕が何人かに聞いた同じ質問に対する答えだ。誰もが同じ回答をする。日本人とそっくりな顔をしていることに驚いた僕は、時々思い出したようにかの国の人達にどうして同胞かどうかを見分けられるのと尋ねた。その3つが基本らしい。そのどれか一つでなく、3つの総合点で分かるのだそうだ。確かに僕も、「日本人ではない」というレベルくらいは分かりだした。何処となく漂う雰囲気が違う。この何処となくこそが、民族と言う縛りなのだろうか。どうでもいいようなものだが、なかなかこれが手ごわい。