刺身

 僕は感動して返事をする度に「刺身」「刺身」と言っていたことになる。僕の口癖の感嘆詞がかの国では刺身と同じ発音らしい。変わった日本人だと思ったかも知れないが、言葉の壁が逆に僕の本質を隠してくれたことになるのかもしれない。 韓国から6人の神父様が来られ、こちらにおられる神父様2人と併せて8人の神父様が小さな教会に会してくださったことになる。歓迎の昼食会にも誘われて出席したが、その前から今日のミサには必ずあずかることに決めていた。  今こうしている間にも、僕が幼い頃筆舌に尽くせないくらいお世話になった人が、痛みと戦っている。息子が「悲惨」と表現した痛みがどのくらいか分からないが、嘗て僕が身動き一つ出来なかった痛みに優るのだろうか。ただ撲の場合は回復が保証されていた。数日すれば少しずつ痛みから解放された。その人の場合、痛みは進行し命をも奪ってしまう。解放を約束されない痛みに人がどれだけ耐えうるのだろう。うー、うーとまるで鼓動に一致させるように声を出すのは、少しでも痛みから逃れるためらしい。「痛い」と「えらい(しんどい)」が時折混ざるがほとんど言葉にはならない。  この数ヶ月、奇跡を神様に願った。でも今日は安らかに早く眠らせてあげてと祈った。8人の神父様を通して神様にお願いした。善良を生涯貫き通した人を苦しめないでとお願いした。ミサが終わった後、病院に行き、今頂いてきた恵を少しでも手渡したいと思いベッドの傍に腰掛け、血の通わない手と足をマッサージした。不安定な姿勢でしなければならなかったが不思議と首も腰も痛くならなかった。いつもならその姿勢に耐えれないのだが今日は不思議と身体の何処にも負担が来なかった。僕を通して恵が与えられたのだろうか。時々、正気になる一瞬があり、一度だけ笑ってくれた。こんなに痛みに襲われ、希望を取り除かれていても人は笑うことが出来るのだとただただ感謝した。  春を呼ぶ雨は韓国の若き神父様達を僕たちの前に連れてきてくれた。友情も希望も、勇気までもが芽吹いたが、変われない季節の行き止まりでうずくまる僕の大切な人に救いあれ。