アメイジンググレイス

 テーブルを囲んで唄の練習をフィリピンの人達としていたら、その中の一人がアメイジンググレイスを唄おうと言った。綺麗なメロディーで、何となく敬虔な感じの単語を所々で聴き取れる。僕は自分流のアレンジで段々ギターを激しく弾き盛り上げるのが好きだ。あたかもボレロのように。そうして数人で歌い始めたら、回りでコーヒーを飲んで談笑していた人達が次第に輪に加わってきた。老いも若きもと言いたいが、若きもは数人のフィリピン人だけで、日本人は残念ながら老いもに属する。さすがにこの曲は有名だからその人達も加わりやすかったのだろう。 英語圏ではない白人男性の神父様もとても好きらしく輪に加わったが、その後で十字架をキリストだけに背負わせるのは公平ではない、私達も一人一人が十字架を背負い生きていくべきだと言った訳もあると教えてくれた。何となく分かるが、十字架は一杯背負っているような気もする。一つ一つは軽いのかも知れないが背負わなかった年代は余り無かったような気がする。  ミサの途中で2曲、フィリピン人達が唄うのだが、最近は日本人の人達が手拍子で乗ってくれる。アメイジンググレイスの時ならぬ大合唱の後、80才が近い女性が、私もミサの時に唄いたいのと言った。それを聞いたフィリピン女性が早速一緒に唄おうと勧めていたが、何とも言えぬほのぼのとした光景だった。職業を忘れることが出来る数少ない解放の時間だ。