案の定

案の定とはまさにこのことだ。 1週間前に岡山道を通ったとき、トンネルが多くて、その中のいくつかがかなり長いことが気になっていた。橋も多くて、その中のほとんどが結構高いところを走るので、車高の高い車をやめて高速道路に適した車で走ったのだが、その安定した性能をしてもまだ、トンネル内の単調な景色は危険だと感じた。どこを走っているのか、どの程度壁とはなれて走っているのか、スピードはどの程度なのか、感覚が麻痺するような気になり、良くぞこれで事故が起きないんだと感心ながら、自分を戒めながら走っていた。よく利用する人たちにとっては気づかないかもしれないが、1年に一度、合計でも片手で収まるくらいしか走ったことがない人間にとっては、あのトンネルは危険極まりなかった。急ぐ必要がなければ、僕だったら津山経由でゆっくりと県北には行く。 今朝のニュースでまさにあのトンネルで死亡事故が起こったのを知った・80歳代の老人が運転していたみたいだ。側壁にぶつかってなくなったらしいのだが、ニュースを聞いてやはり事故が起こったのだと、悪い予想が当たったのだと思った。おそらくかなりの人が危険を感じているのではないか。ただ今まで当事者にならなかったので大きな声にはならなかったのだろう。ただいつ誰が当事者になるかもしれないのが交通事故だ。知恵とお金が必要とされてい