草抜き

 朝、まだ出勤の車もまばらな時間帯、我が家の新しい駐車場に人影がある。這いつくばって、手袋を履いた手で草を抜いている。雨上がりだから抜きやすいのだろう。結局僕がシャッターを開けるまでやっていたから、2時間近く頑張ってくれたことになる。薬局を開けるとともに作業を切り上げて入ってきたから一緒にコーヒーを飲む。 もう3日目になる。草刈り機も使ったし、鎌も使った。駐車場を譲って貰ったとき、憧れていた花壇を狭い場所ながら作ると綺麗だと思って、わざわざ耕作用の土を入れて貰ったが、結局育ったのは9割が草だった。当初は珍しさも手伝ってこまめに草を抜いていたが、いつの間にか圧倒的な生命力に押され、抜いた数倍も新たに陣地をとられる有様だった。そのうち諦めて敵のなすがままになった。万歳してからは凄い勢いで草が生えだし、瞬く間に背丈を延ばし、ちょっとでも草の中にはいるのが躊躇われるくらいになった。僅か数坪の広さなのに。 そんな時彼が声をかけてくれた。法務省にもう2度も出張しているから仕事はない。時々それこそ草刈りの真似事をして報酬を貰っているみたいだ。折角声をかけてくれたが僕は躊躇った。幼なじみだし、全うに暮らしていれば僕の家の草抜きをして貰う関係には絶対なっていなかった人だ。僕は今目の前にいる彼より、昔の彼を本当の彼だと思っているから、頼みづらい。いくら報酬を払ったら相場なのか知らないし、彼が受け取るようにも思えなかった。  偶然カウンターの上に置いてあるポスターに目がいった。と言うより、僕より早く彼が目を通していた。無類のジャズ好きの彼だからそんな臭いは簡単に嗅ぎつける。そのポスターは岡山在住のサックスプレイヤーの赤田晃一の20周年記念公演のもので、ゲストに佐藤充彦と言う全国的にも有名なピアニスト(僕は知らないから受け売り)も来ると言うものだ。ふとした切っ掛けでポスターを置いていたのだが、めざとく見つけた彼の目は「私をスキーに、いやジャズに連れていって」と言っているようだった。 僕はすぐに閃いた。これなら彼の好意を金銭などに換算する必要もないし、彼のプライドも保たれるし、僕らの対等性も保たれる。1日あればできると思っていた草刈りが、3日かかったから、アル中気味の彼の大好物を行き帰りにご馳走すればいい。  這いつくばってまで綺麗にしてくれた才能を生かして、草刈りのビジネスでも始めたらと提案したら興味も示さなかった。正式に立ち上げるといろんなことに縛られるからいやだと言う。「もう2度も手を後ろに縛られたのに」と僕は心の中でつぶやいたりしない。もろ口に出して言った。結構受けた。