満点

 もし許されるなら外国人のように抱きしめて、その孝行ぶりの全てに満点をつけられることを示したかったが、ここは東洋の国だし、相手が立派な大人だから許されない。突然の涙の知らせに戸惑ったが、恐らく他の人では出来ないだろう自然な接し方で愛情の全てを出し尽くしていたことを知っているから、拙い慰めの言葉は必要ないと思った。 ありそうな言葉だが、実際に聞いたのは昨日が初めてのような気がする。ファザコンという言葉が実際にあるのかどうか分からないが、きっと彼女はお父さんを尊敬していたのだと思う。薬局に付き添ってやって来たときの言葉遣いや振る舞いに、それが如実に現れていた。丁寧な立ち居振る舞いは父親の職業の影響を受けているのか、それとも母親の気性を受け継いでいるのか分からないが、今時珍しく美しい言葉遣いも心得ている人だ。  急逝した父親を言葉を発する毎に思い出し、涙が瞬時に瞳を覆う。数年前から介護していたから、元気なときの父親の想い出はなく、闘病している姿が父親の全てだと言っていた。痴呆が進んだ母親の最近の姿が僕の中での母の全て、と共通する認識で世代を越えた一致に何故か救われたような気がした。  あの若さで父親を失うのはどんなに辛いだろうと想像するが、50歳を過ぎるまで父親がいた僕には実は想像しきれないのだ。まして「大好きだった」お父さんを亡くした気持ちは尚分からない。ただこういった状況でかける的確な言葉を持っていない僕には、涙と交互に笑顔が溢れてくれることが救いだった。「あなたは満点だった」たったそれだけを言うために多くの言葉を犠牲にしたことを後悔している。