急逝

 目の前で話していた女性のところに2階から慌てて降りてきた女性が、スマホのイヤホーンを耳につけさせた。さっきまで冗談を言い合い畳の上に転げまわっていた女性が急に深刻な顔に変わって声を落として話し始めた。好ましからざる内容だとすぐに分かった。話し終えるとスマホを返してもらいそそくさと女性は再び2階に消えた。気になったのでどうしたのと尋ねると、何度か教会や和太鼓やクラシックのコンサートに連れて行った女性のお父さんが急逝したらしい。牛窓工場ではないが、クリスチャンと言う縁があっておせっかいを焼いているのだが、素朴な立ち居振る舞いに心がいやされる人だ。その女性の年齢からしても、亡くなったお父さんはそんなに歳が大きいとは思えない。恐らく僕などより随分と若いと思う。ベトナム人は若くして亡くなることが多い印象を持っているが、女性のお父さんもきっとまだ若い。職業柄関心があったので死因を尋ねると、昨日まで元気だったらしい。ベトナム人にはよくあることで、電話を受けた女性も「ベトナム スグシヌ」と言っていた。僕が初めてベトナム人たちのお世話をした頃、ある女性から教わったことを口にすると「そうそう」とすぐに返事が来た。「ベトナムジン キノウゲンキ キョウイナイ」という表現だ。日本人にとっては「いい死に」と表現されることが多いが、それを通訳ではない女性を解して伝えることは誤解を招くだけだから口には出さなかった。
 父親を亡くした女性からの電話ではなく、その友人からだったのだが、その意図は、急遽帰国することになった女性の飛行機代をカンパするためらしい。以前にも同じ経験をしたからおよそのことは分かっているが、こうしたときの飛行機代は会社からは出ないらしいから、皆でカンパするみたいだ。異国の地で共同体を作り助け合いながら暮らしているのだ。
 そういえば、時々寮にベトナムの食材を配達してくるベトナム人達がいる。店舗を構えて正式に商売しているのかどうか分からないが、果たしてそうした取引によって得た金を営業利益として税務署に申告してこの国に税金を払っているのかどうか気になる。恐らくすべてが闇営業だろう。38万人のベトナム人がいて、共同体を作り、税金を払わない人間達が増殖するとなるとこの国は無法地帯になる。汚部や疫人たちの闇と移民たちの闇で挟まれる中間層はたまったものではない。そんな時代の真っ只中に僕たちは生きている。