ドクターヘリ

 恐らく今まで100人以上のベトナム人を見送りましたが、貴女ほど心残りの方はいません。
 日本語を独学で勉強しただけなのに、お父さんとかなりの会話ができました。それもあなたが来日2年目で初めて会うことができたのだから、あれだけの日本語をわずか2年で使いこなせたってことですから驚きです。
 日本語で「阿吽の呼吸 あうんのこきゅう」と言う言葉がありますが、まさに貴女は僕にとって阿吽の呼吸でした。日本人でも、そのレベルに達しているのは僕の大学時代の先輩と後輩たちです。貴女はやすやすとそれを身に付けてしまいました。それも言葉の壁、年齢の壁があったのに。貴女のことを本当の娘にしたいくらいに思っていたから、僕もあなたといる時にはベトナム人になっていたのでしょうか。ベトナム人の親子関係はいつも羨ましく思っていましたから、少しはそれに近づいていたのでしょうか。いやいや僕は根っからの日本人ですから、貴女が機知とやさしさであの関係を作ってくれたのでしょう。
 僕は牛窓の漁師たちに育てられたので、独特の品のない冗談が多いのですが、貴女はそれをすぐに返してくれます。まるで日本の漫才のボケと突込みみたいに。だから僕はあなたやあなたのお友達と話したり小さな旅行をするのがとても楽しかったです。最後はコロナで行動が制限され一緒に楽しむことができませんでしたが、それでもいくつかの思い出は鮮明にお父さんの頭の中に残っています。お父さんは写真を撮りませんがいつまでもあなたの優しいほほえみは、心のアルバムの中に飾っておきます。
 くらしき作陽大学にベートーベンを聴きに行ったときに、貴女に留学を促しましたがあれはお父さんの本心です。独学で勉強してあれだけの言葉を身に付けたのですから、もっと高度の勉強をしたらいいのにと思ったからです。貴女は年齢が大きいと言って笑っていましたが、かつて学びのチャンスがなかったとしたら残念です。
 あなたがベトナムに帰ればいっぱいの幸せの中で暮らすのは分かっているのですが、ついおせっかいな気持ちが沸いてしまうのです。知り合うのが遅く多くの経験をしてもらうことは出来ませんでしたが、いくつかのともに経験した出来事が、少しでもあなたのこれからの人生に役立つとしたら幸せです。
 もし何か手伝えることがあったら連絡してください。ドクターヘリに乗せられてベトナムに駆け付けますから。