それだけは言って欲しくなかった。聞きたくなかった。例えハンサムだったよと慌ててフォローしてくれても。  102歳の母親の処方箋を持ってくる人がいる。人と言うより、おばあさんと言ったほうがいい。その女性が今日は僕と二人きりだからいいと思ったのか「あんたも、お父さんに似てきたなあ!私はお父さんの薬局ばかり行っていたから、あんたが幼いときから知っとるけど、最近本当によう似てきたわ」と言った。「あの髪は天然だったんかなあ。縮れ毛じゃったろう」と懐かしげな表情で言う。確かに天然パーマだった。「昔はお金がなかったから、お父さんに胃薬を1枚一枚紙に包んで売ってもらってた。助かったんよ」このあたりはまあまあだ。昔は病院なんかも少なかったから、薬剤師はとても重宝していたし、信頼もされていた。簡単な薬は自分達で作っていたのだ。今でこそ、色々な会社が作らなくてもいい薬を作って、消費を競っているが、昔は必要な人が必要なだけ飲んでいた。当たり前のことが行われていた。  父は5人の子供を養わなければならなかったから、よく働いた。ただそれは人一倍ではない。当時は皆よく働いていたのだ。休みなど多くの人がなかった。子育てはほぼ母親がした。これもまたごく普通のことで、何処にでもいる父親だったと思う。ごくごく普通の父親だったのだ。僕はそんな父親を尊敬して大きくなってはいない。嫌いでもなかった。ただ無関心だった。僕はいったい何に関心を持って育ったのか今だ思い出せるものがない。少なくとも対象は家族ではなかった。でもただ1つ言えるのは、僕が思う以上に父は家族のことを思っていたに違いないと言うこと。優しい言葉をかけるわけではなく、ほとんど会話らしきものをしなかったが、子供に対して思いは深かったと思う。ごく普通の父親と同じように。  思えば僕の少年、青年時代も、結局は勉強ばかりしていたのだ。結果が結びつかなかったから、今となってはその時間や、他に興味を抱く対象を見つけることが出来なかったことが惜しいような気がするが、これもまた多くの少年や青年が遭遇する現実だ。才能に恵まれず、強い意志を持たないごくごく普通の人間にとって、人生とは商店街のアーケードの下を歩いているようなものだ。目に入るものにいくばくかの興味を示し、時には買い物をし、やがては通り過ぎる。たいしたものを失わず、たいした物を手に入れず気がつけばアーケードがなくなっている。  僕はそのアーケードを父親と一緒に歩いていない。僕の子供たちとも一緒に歩いていない。ただ父はきっとそのアーケードの下にある薬局から僕達兄弟が手をつないで歩く姿を懸命に見ていただろうし、僕もまた子供達が手をつなぎ歩く姿を懸命に見ていた。いわば僕は父と同じ轍を踏んでいるのだ。