ああ、僕はやはりこの景色が好きなんだと思った。前回このフェリーで高松に渡ったのは何年前だろう。船のデッキで潮風にもてあそばれながら景色は思い出すが、いつ何のために利用したかは思い出せなかった。もっとも、僕は仕事以外では移動しないたちだから、勉強会以外にはありえないのだが、何の勉強会だったのか全く思い出せなかった。しかし瀬戸大橋が出来てからは、早いという理由と眼下に広がるスリリングな景色への好奇心で、もっぱら電車を利用して四国には渡るようにしていた。 この数年毎週のように宇高フェリーの発着港の宇野に通っていたから、もう敢えて瀬戸大橋を利用する気にはならなかった。今度機会があればここからフェリーで四国に渡ればいいくらいの気持ちでいた。そんな中で連休をもてあそんでいるとかの国の若い女性が言うので、フェリーに乗せてあげれば楽しんで貰えるのではないかと考え、日帰りの小さな旅行を企画した。案の定フェリーと観光スポットの四国村ってところを堪能してくれた。忍耐強さの代償が低賃金という割のあわなさに又忍耐強さを発揮している娘達に、少しでも日常の変化をつけてあげたかった。補完的な従業員という縦の関係から解放されて自由を満喫して欲しかった。存在に心から感謝し、大切に思う日本人がいることを記憶に留めて欲しかった。 江戸時代にこんな建物を造ることが出来たのかと、四国村の中で感動したものがある。土塀の上に竹で編んだ屋根が載っている建物なのだが、それが丸い建物なのだ。モンゴルの草原にでもありそうなテント仕様のものを、土と竹細工で作っているようなものだった。結構中が広く天井も高かった。何故こんな建物が昔必要だったのかと言う疑問はすぐに説明のパネルで解決した。その大きな円形の建物は、牛が臼か何かをひくために一日中歩かされていた建物なのだ。一日中むち打たれて行き着くところもなく歩き続かされていた場所なのだ。恐らく牛が引っ張っていたと思われる柄は柱より太い木だった。その事を知ったとき一気に小さな旅の解放感から覚めた。何故かその牛の様が、かの国の娘達に重なったのだ。 部外者の入っては行けない領域だから、又勿論どちらにもメリットが存在している関係だから、単なるセンチメンタルで判断してはいけないことは分かっている。でももっとよりよい関係はあるはずだと、考えてしまう。尊厳が満たされた関係が。