四国フェリー

 晩秋のデッキにこんなに沢山の人が集まるとは思わなかった。比較的今日は暖かかったが、それでもフェリーが動けば風を切るからそれなりに寒い。だけど、多くの人がずっと動かなかった。普通ならガラガラのデッキでも人が入れ替わるのだが、今日は行きの宇野から高松まで、帰りの高松から宇野まで陣取った場所で多くの人がずっと景色を眺めたり写真に撮っていた。
 そもそも宇野港のフェリーの発着場に着いたときから、この20年近く眺めてきた光景とは違っていた。乗船待ちの車は、乗船できない車があるのではないかと言うくらい駐車場に溢れていたし、乗り込む人たちは列を成していた。案の定、客室には腰掛ける席はなく、仕方なくデッキに上がった人もあるだろう。ただ、12月に航路が廃止になることを知ったファン達が多くを占めただろうから、デッキに上がらない手はないと言う人がほとんどだったかもしれない。見るからに最後の乗船を果たしに来ている風の人が多かった。フェリー大好き人間で何十回乗ったか分からない僕だから、客層と言うのは分かっている。今日は往年のファンがほとんどを締めていたのではないか。子や孫を連れて、いや子や孫に世話をされながら乗り込んでくる人が多かった。
 実際に夜には宇野から高松の街の灯りが見え、逆も真なりの所を行き来する人たちにとっては、これからは、わざわざコの字型に瀬戸大橋を利用して行かなければならないのだから、時間と費用と労力は何倍も要するだろう。瀬戸大橋の利便性に負けて消え行く運命にあるのかもしれないが、風情がなくなるのは数字では表せれないくらい寂しさや空しさがある。高松港を夕闇の中はなれるときに、僕はカメラもスマフォも持っていないから、懸命に記憶にとどめようとした。今まで意識して離れ行く街を眺めたことはなかった。それは又いつでも来ることができるという当たり前の安心感があるから。でもよほど工夫しても後2回乗ることができるかどうかだ。取り敢えずは、明日又乗る。自称フェリーお宅の僕だから。