身軽

 基本的には干渉しないようにしていたから、この10年間どのように働いてきたのかほとんど知らなかった。いつも身体のことを心配していたから、なるべく時間を奪わないようにしてきた。親の都合を押しつけられたらたまったものではないから、まるで無関心も装っていた。 いつからだろうこんなに長い時間話をしたのは。結構心身共にギリギリの生活をしていて、職場をこの辺りが潮時だと判断した経緯も分かった。外部から見ていたらもったいないような気もしていたが、身体の悲鳴が聞こえていたのだろう。  自分や病院が行っている医療についての疑問が今回の判断を促したみたいだが、彼が抱いた疑問は僕と共通している。そして彼が旅をして得た感想も僕と共通している。中学を卒業してからほとんど価値観を戦わせたことはないけれど、同じような価値観に行き着いていることが嬉しかった。  多くの事象について、実は大したことはないと思えるようになればそれでいいのだ。追い求めてきたものがつまらないものに思えればそれでいいのだ。光り輝いているものが実はメッキで覆われた虚飾のものだと気がつけばそれでいいのだ。淡々とニヒルに対処すれば価値あるものがくすみ、価値のないものが輝き出す。 現代医学で対処できないものがある?と尋ねると、沢山あると言っていた。30年間溜めてきた症例が生きるときが来たのかもしれない。捨てることによって得られるものもある。精神の身軽に優る快感はない。