異質

 岡山駅で待ち合わせするまで、自分で言い聞かせていた今日のテーマは絶対に疲れないことだった。なぜなら明日も、6人神戸に連れて行かなければならないから、連日で疲労を積み重ねれば3日に1日中休んだとしても取り返す自信はないから。そこまでもう体力は落ちている。この半年くらいの経験で身にしみて感じている。それに抵抗するかのごとく逆らって行動しても、傷を深くするばかりだった。
 ところが車で玉野教会に行く途中ですでに、何とか彼女たちにとって可能な限り有意義で楽しい1日であってもらおうと決めた。それだけ僕の心を打つ会話が車中で行われたのだ。来日して1年の女性が二人、半年の女性が二人なのに、牛窓工場のベトナム人に比べて圧倒的に日本語の習得が早い。御津工場のある町には、町が主宰の日本語教室が充実していて、そこに通う外国人が多いことが理由らしい。なるほど通訳なしで1日いろいろな話ができた。
 ミサの後、信者の方々と神父様とでお茶を飲んだのだが、彼女たちのところに信者の方々が親しく寄ってきてくださり、会話を楽しんでいた。その光景があまりにもよかったので、一番取って置きのコース(フェリーで四国に渡り、瀬戸大橋で帰ってくる)を封印して、2番目のコースに頭の中で変更していた。ところがふとしたきっかけで四国に渡ることが信者の方に聞こえると、土地勘のある方だから今でも間に合うと教えてくれた。そこで中座するように教会から出たのだが、教会の扉を閉めるや否や、4人が「ああ、楽しかった!」と日本語で口々に言った。おそらく、会社を離れてこんなに日本人に親しくしてもらったことはないのではないか。会社での職業的なつながり以外にはなかなか日本人と接点がないみたいだから、その新鮮さに感激してもらえたのかもしれない。
 結局、高松にフェリーで渡り、僕のお気に入りのホテルのバイキングを楽しみ、丸亀まで香川県を横断し、城を楽しみ、瀬戸大橋を渡って帰ってきた。帰路、毎週お父さんに会いたいと言ってくれたが、それは不可能だ。おそらく4日?ひょっとしたら3日からまた多くの方のお手伝いをしなければならない。今年の目標は、体力温存、心の平安だ。ベトナム人にかつて日本にあっただろう家族関係を疑似体験させてもらえれば、心の平安には多大な貢献をしてもらえるが、体力は温存どころか崩壊してしまう。来日して初めて、自由な小さな旅をして喜んでもらえたみたいだが、明日の6人は違う。3人の約束だったのが、昨夜訪ねたら僕に相談なしで6人に増えていた。タクシーで回れるところがこれでバスを使わなければならない。大都会でバスで回るのは結構難しく、インターネットで昨夜から予習を重ねている。3年間の付き合いで、遠慮がなくなったのだろうが、鼻につかないわけではない。選抜されてきたよい人ばかりだが、国民性では解決しない不条理も最近は鼻に突き出した。今日の感激と感謝いっぱいの4人とは異質なものになりつつあった。