用途

やっと謎が解けた。この1ヶ月近く悩んでいたからスッとした。目の前にいつも転がっているから、何のためにこんなものがあるのか悩みながら使っていた。使えるものを捨てるのは忍びないから、正しいか間違っているかは別として、用途を工夫しながらなんとか使っていたのだが、これで思いっきり何も考えずに使える。 この、世にも珍しいものを誰に尋ねたらいいのか、それすらも迷っていた。芸術家か設計士か、投資家か、教育者か。でもほとんどそんな職業の人はこの田舎にはいない。だとすれば比較的若い人に尋ねた方が良さそうだ。少なくとも僕は初めて見たから恐らく最近のものなのだろう。  小学生のお子さんを持つある親と、お子さんの健康について色々喋った後、このお母さんだったら知っているかもしれないと思った。健康相談の時にそんな疑問を持ち出して不謹慎かもしれないが、思い立ったら相談を遮ってでも知りたかった。でもその不謹慎が僕の悩みを解放してくれた。答えは単純明快だった。「楽しいからではないですか?」 なんだ、僕は元々意味がないものに必至で意味を持たせようとしていたのだ。製造業者は単なる「楽しい」を追求しただけだったのだ。それ以上の目的はないのだ。勿論決まった用途なんて最初からなかったのだ。もったいない、もったいない、この1ヶ月の悩みがもったいない。  娘の部屋を片づけていたら、まだ使われていない鉛筆が見つかった。それこそもったいないので薬局で使おうと思い、新品をカッターナイフで削った。ところが赤鉛筆だと思って削っていたら、なんと赤の芯の間に黒の芯が挟まれている。サンドイッチ状態だ。だから鉛筆を寝かせて書けば赤鉛筆になるし、そのあげく真ん中が相対的に高くなれば黒鉛筆に変わる。もっともそんな極端な使い方は疲れるから自然に使っていたら、赤と黒が入り交じったりする。だから正式なものには使えない。工夫した使い方とは、僕は問診は簡単にメモ書きをし、夜に清書するようにしているが、清書をするときにメモの内容を書き写すことが出来たらすぐにその鉛筆で消していくようにして、大切な内容の脱落を防いでいた。要は何色でもいいのだ。転記済みの内容を消すことが出来ればいいのだから。  お母さんは、今は6色が配置された芯の鉛筆があることも、数色が配置されたマジックがあることも教えてくれた。そしてそれらは結局「使っていて楽しい」のだ。なんだ、使っても全く楽しくない。ややこしいものを作らないでと言いたい。ただでさえややこしい機器に囲まれているのだから、せめて鉛筆くらいは時代に取り残されて欲しい。時代に取り残されている僕が使うのだから。