鉛筆

 カッターナイフで鉛筆を削るのが好きだから、鉛筆で済むものはいまだ鉛筆を使っている。昔は確か、簡易の髭剃りみたいなもので削っていたように思うが、カッターナイフの切れ味にはかなうまい。僅か一分もかからない作業だが、なぜか気持ちが落ち着く。受験勉強のほんの一瞬の息継ぎみたいな作業が鉛筆削りだったのかもしれない。
 いつのころかは定かではないが、消しゴム大の小さな鉛筆削りが出現し、一時はそれが主流になった。そのうち手でハンドルを回して削る大掛かりなものが主流になり、机の端に取り付けるのが定番になった。
 ところが受験期にそれが机の端に取り付けられている光景は思い出せない。むしろゴミ箱の上で、背を丸めて削っている光景の方がぴったりとくる。集中力が切れた時に、合法的に一休みする権利を行使しているようなものだ。後ろめたさのない休憩だったのだろう。
 子供たちが使いさしで残していた鉛筆や、僕の漢方の大先輩が亡くなったときに、薬局関係の遺品を整理しに行った時にもらってきた未使用の鉛筆などを含めて、僕自身も使いきれないくらい持っている。一本の鉛筆でもこんなに長く使えるのかと驚くほどだが、逆を言えば、さすがに中高時代はよく勉強したんだと思う。
 今一念発起して、パソコンではなく手書きで病状を尋ねたりするが、僅か便せん1枚書くのにも指が痙攣したりする。まさか指の筋肉まで落ちているのかと哀しくなるが、削る時に一瞬香る木の香りに、ふと感じる郷愁は捨てがたい。

【録画配信】高井たかし幹事長、次期衆院選 公認候補予定者 発表記者会見(11月2日 13時〜神奈川県庁) - YouTube