ついに僕の番が来た。我が家には、暗黙の流れがある。  薬局には毎日薬品がダンボール箱でメーカーや問屋から届けられるから、結構それがたまってくる。昔はそれを燃やして風呂を沸かしていたから有用な資源だったのだが、今はそれが条例で出来ないことになり、ひたすらたまってしまう。幼いときに覚えている光景は、祖父がダンボール箱を丁寧に破って、倉庫にしまい、夕方になるとそれを少しずつ取りだし風呂の焚き口に投げ入れていた様子だ。  父も僕が薬局の中心になってからは、夕方になると風呂の焚き口の前に陣取り、丁寧に小さく切ったダンボールで風呂を沸かしていた。まだその頃も煙を出してはいけないと言う条例はなかった。灯油と兼用で沸く便利な風呂だったが、ダンボールの処分のためと灯油代の倹約のために、ほとんどダンボールだけで風呂を沸かしていたように思う。  父が亡くなってからその役割を母が継いでくれた。母の代から風呂で炊くことが出来なくなったから、問屋さんに持って帰ってもらうことにした。ある親切な問屋さんが薬を届けてくれた帰りに束ねたダンボールを持って帰ってくれるのだ。ただし小さく切ってしっかりと紐でくくるという条件付きで。それはそうだろう、大切な荷物を傷つけてはいけなし、仕事の能率を落としてもいけないから。その様な条件はないに等しいくらい当方にとっては助かる。あの場所の取り方と見た目にだらしない光景を避けれるなら、もっとこちらが出来ることをしてもいいくらいだ。母はその作業を十分こなしてくれた。だから僕らはなにもその点にたいして労力を使う必要がなかったのだ。これは結構助かる。  ところが最近、母の足腰が少し弱ってきたのでそれが出来なくなった。と言うわけでついに僕の番が来てしまったのだ。生産に関わらない分野は、最年長者の分担でと言う暗黙のルールに僕も従っているのだ。人間で言うと動脈から静脈への転換だ。ほとんど処理を担当する分野だ。華々しい舞台から縁の下の力持ちへの転換だ。  午後のある時間、カッターナイフを手にとってダンボールを形を揃えて切る。祖父や父や母がやってきたことだ。何かとんでもない偉業でも引き継いでいるのならいいが、ダンボール切りでは自慢にならない。ただ3人ともが若い人間を少しでも助けようとした気持ちは良く分かる。望もしないが、僕もそんな年齢になった。