脱脂綿

 その老人が帰った後、応対した娘が心配そうな顔をして僕に言った。「お父さんはどうして尿漏れパットだと思ったの?」と。  敢えてそう言われるとハッキリとした根拠はない。長年の経験で、あのような状況では下のものが相場だったから、迷わず娘に「尿漏れパットだろう」と助言したのだ。丁度僕が漢方の相談に応じていたから、娘も遠慮がちに僕に尋ねたし、僕も偶然耳に入った言葉でそれしか思い浮かばなかったのだ。老人が帰ってから娘に尋ねられるまで何の懸念材料はなかったが、敢えて問われると自分の判断になるほど根拠はなかった。  その老人は薬局に入って来るなり「脱脂綿みたいな奴・・・」となんだかはっきりしない言い方で、医療雑貨の方を物色し始めた。迷っているらしかったから娘が応対したのだが、脱脂綿と断定しなくて、みたいな奴と何かぼかしている言い方だった。この手のぼかしを使うのは、男性が生理用品を頼まれたりしたときに使う常套手段だ。年齢から言って生理用品ではないから、尿漏れしか頭に浮かばなかった。娘は若いからそう言った特有の言い回しは分からなかったみたいで、僕に判断を仰いだのだが。僕は迷わず尿漏れパットと断定した。あの年齢の人は昔、生理の時にあてるものを綿と呼んだりしていたから、同じ理屈だと思った。  その男性は迷いながらも娘が勧めた尿取りパットを買って帰った。娘も引っかかったのだろういつでも間違っていたら取り替えますよと言葉を足していた。その娘がしばらくして、その男性の奥さんを思いだしたみたいで、ひょっとしたら本当に脱脂綿が必要だったのではないかと思ったらしいのだ。何故ならその奥さんは糖尿病で自己注射をしている。以前脱脂綿と消毒用アルコールを買いに来たのを思い出したらしいのだ。そこで一気に不安になったらしい。  「本当に脱脂綿を買いに来たんではないの?」と娘は悪いことをしたなと言う顔で真剣に悩んでいた。でも僕は笑いをこらえることが出来なかった。奥さんはご主人が買ってきた尿取りパットを見て、なんてものを買ってきたのかと怒るだろうなと想像しただけでおかしくなったのだ。とてもおとなしいご主人だから、怒られっぱなしになりそうだ。不謹慎だが、笑いの壺の一歩手前で辛うじて踏みとどまった。  今日、いつ来るかいつ来るかと待っていたが、結局ご主人は来なかった。僕の勘が当たって、照れ隠しの脱脂綿は尿取りパットのことだったのかも知れないし、奥さんが便利なものがあるんだと喜んだのかも知れないし、侮辱したと絞め殺されて海深く沈んでいるのかも知れない。いずれにしてもおじさんに言いたいことがある。「ハッキリ言って!ハッキリ」