心模様

 果たしてドイツって言葉は日本語なのだろうか。そのたった一つの国名を伝えるだけでずいぶんと苦労した。ドイツ、ドイツとくり返しても駄目だから、ジャーマンとかジャーマニイとかドイチェとかなりふりかまわず口に出してみたが、結局は通じずに最後には地図帳を引っ張り出して指でさした。「おお、ドゥー」とか何とか言ってやっと分かってくれた。何でドイツって言う言葉が通じないのかも不思議だったが、何で3文字がかの国では一文字で表されるのかも不思議だった。  そんな不思議を承知で我が家としては珍しく2階に招き入れた。滅多他人を2階まで通すことはない。薬局は人を応対するように出来ているし、その場所が慣れているから、わざわざ2階に通す必要はない。1日中、1年中ある意味では接待をし続けているから、プライバシーを極度に守っているとも考えられる。ただ、過敏性腸症候群の多くの若者は例外で、2階どころか3階まで解放して自由に生活してもらった。そうした意味で今晩の二人は異例中の異例なのだ。ただ、休日で薬局を閉めていたこともあるが、なんとなく僕らのスペースまで通すべきだと思ったのだ。異国の地で懸命に働く真摯さと、日本人が忘れてしまった人情を醸し出す表情に、何ら鎧を着る必要はない。言葉の大いなる壁を越えるには十分の心の交流がある。  この経験が若いときに出来ていれば、もう少し人生の幅が広がっていただろうと思う。出来ることや出来たことは比べものにならないくらい増えていただろう。何の利害関係もなく心が結びつくのは学生時代の関係と同じだが、当時の仲間はなにぶん落ちこぼればかりで生産とはほど遠いところで自虐的に生きていた人間ばかりだった。それに引き替え、かの国の子は、日本人がいやがることを何ら苦とせずにこなしている。「ベンキョウ、スキ」と臆面もなく口に出せるくらい向学心に燃えている。ベンキョウの機会を与えられなかった子達が懸命に自分の力でその機会を掴もうとしている。あの子達が何を期待して訪ねてきてくれるのか分からないが、僕は明らかに、あの子達との肩書きがいっさい必要のない交流で心が洗われていると思う。汚れて淀んだ僕の心がその時だけでも澄んでくるのが分かる。  心が洗われる・・・・それ以上その時の心模様を表す言葉を思いつかない。