断層

 休日だから、いつもの朝の散歩を10時過ぎにした。テニスコートは十分に太陽に照らされていて、服の上から暖かさが伝わってきた。恐らくこの冬で初めてのことだ。昼過ぎに岡山に行こうと車に乗り込むと温室に入ったように温かかった。これも又この冬初めてのことだ。春は着実に近づいている。  毎日のようにニュースで雪について伝えられる県の方から、メールが届く。西の人間にとってはまるで異国のような情景が写真や文章で届けられる。雪が深くなるに連れ、体調は崩れ心は冷え切ってきている。そうした人に、春は近いとか、春になればとかの言葉は空しい。春になる前に改善し、春になる前に立ち直らなければならない。季節のせいにするのは、こちらとしては全く責任転嫁以外の何ものでもない。季節も年齢も人間関係も、何もかも悪化だけでなく好転の要因にもなるが、それに期待していたのでは職業ではない。春になれば治るなら、春を待てばいい。歳のせいなら無駄な努力はしないがいい。人間関係が全てなら無人島に行けばいい。悪化したときにだけこれらの要因のせいにし、改善したときは自分の手柄にする。人格が往々にして陥りやすい落とし穴だ。  涙で雪が解けるなら泣けばいい。軒下まで積もった雪を溶かすにはかの地の人達の涙を集めても無理だろう。災害は孤独だ。台風の夜、母を連れて海水から逃れて高台に逃げたとき思った。何百万人かの人が、昨年のあの日恐怖を味わったのだろうが、降り積もる雪の下で一人、きしむ建物の音を聞きながら夜が明けるのを待つのも同じくらい恐ろしいだろう。体調が悪かったりしたら尚更だ。 取り残された町、取り残された村、取り残された人。人の心にも確実に断層が走った、あの日から。