感想

 ただでさえ斜陽気味のドイツの森の肌寒い曇りの日曜日は、人影もまばらでほとんど貸し切りかというほど静かだった。3年間仕事のために滞在していた日本を今日離れるかの国の3人の最後の希望を叶えてあげようと訪れた。その中の一人を一度案内したことがあるから彼女の発案だろう。もっともかの国の女性はとても花が好きだから、彼女たちにとってはとても楽しい場所のようだ。案の定到着したときから興奮しっぱなしで、いつものように時速100メートルでポーズをとりながら写真を取りまくっていた。  何回「オトウサン アリガトウ」の言葉を言ってもらえたか分からない。当日のことか、3年間のことか分からないが、「トウキョウニイキタイ」以外の望みは全て叶えてあげたから、僕自身に心残りはない。折角仲が良くなったのに別れなければならない寂しさはあるが、スカイプがある現在では、1km離れた寮にいても、かの国の首都にいても同じようなものだ。クリック一つでそこにいるかのように話すことが出来る。だから別れの儀式も随分と耐えられるものになった。知り合って3年で必ず帰っていくあの子達を見送ることにも多少慣れてきた。  今夕方5時。そろそろ3人が揃って挨拶に来るだろう。深夜に牛窓を発ち、関空から朝には飛び立つ。夕方の4時には家族の迎えを空港で受けるのだから、本当に地球は小さくなった。僕に時間と体力があればいつでも会いに行ってあげられるのにどちらもない。ずっとこれからも僕は見送る側であり続けるのだろうか。  3人の中の1人が言った。「オトウサン ツギノヒトモ ヨロシクオネガイシマス」交代でやってくる3人のことを言っているのだ。僕はその言葉で彼女の3年間を有意義に過ごす手伝いが出来たのだろうと思った。「オトウサンハ メズラシイ ニホンジン」それはかの国の若い女の子達を尊敬している僕に対する感想だと思う。「ごめんね、ごめんね。日本を代表して謝るね」と言う謝罪の回数が多かったことに対しての感想だとも思う。  かの国の人達を福島で働かせるという話も聞こえてくる。恥ずかしさのあまりこれから何回彼らに謝らなければならないのかと思う。権力にとって都合の良い言葉「絆」に庶民が縛られている。かの国の人達にはその言葉を適用しないのか。都合の良い言葉は都合の良い人間が多用する。見え見えを許すな。