評論家

 かの国に行ったことがないのに、かの国評論家の僕としたら、今回のような事案は想像していた。と言うのは、かの国だけではないかもしれないが、日本に来て、努力が報われて満足して帰って行った人が果たして何割いるのだろうと常々考えていたからだ。この国の人たちが避けている分野をまさに補うためにやってきて、この国の労働者の半分にも満たない報酬しかもらえなかったら、心のうちに何を思って帰って行くだろう。  たとえば休日、着飾った若者が、闊歩するのを横目できつい労働をしたら、若い家族が楽しそうにテーマパークで遊ぶのを見ながら、汚い仕事をしたら、高級車が頻繁に目の前を通り抜けるのを見ながら危険な仕事をしたら、おいしそうなレストランで食事をするのを窓越しに見ながら炎天下で仕事をしたら、いつ勉強しているのか分からないような女の子がたむろするのを見ながら、寒空の下で仕事をしたら、彼らは何を思い帰っていくだろうか。  そしてこの国の人たちが親しく交わり、人格を評価し、多くの親切を経験させていないとなると彼らは心に何を持って帰るだろう。多くの反感とそれがきわまった憎しみをもって帰る人がいても不思議ではない。 シシャモに農薬と人糞が混入していたのは、作業ミスなんかではなく明らかにこの国の人に対する復讐だろう。経済的に豊かな国に対するその人間の一矢だろう。やり場のない怒りだろう。「オトウサン サベツッテコトバ シッテマッカ?」3年間の研修と言う名の労働を終えて帰っていくかの国の若い女性が残した言葉だ。僕のもっとも嫌いな言葉を覚えてしまわざるをえない彼女たちに、それがまったく存在しない時間と空間を僕は出来るだけ多く作りたい。いやむしろ、尊敬と感謝が支配する時を共有したい。