優先

 来月、かの国の女性3人が、3年間の仕事を終えて帰国する。その中の一人は甘え上手で、僕がかの国の女性全員を平等に接待するきっかけを作った女性と仲良しで、その恩恵で一番日本を堪能してもらえた女性だが、後の二人は四国フェリーと第九のコンサートと備中温羅太鼓のコンサートくらいしか楽しんでもらっていない。二人はなんとも思っていないらしいが、僕はかなり心残りなので秋から、帰国する直前に奈良への旅行を約束していた。奈良には学生としてきている親しいかの国の女性達が5人いるので、その上お互い面識がある人もいるので丁度良いと思って奈良行きを選択していた。  当然という言い方がいいのかどうか分からないが、奈良の5人は苦学生で、学校と寝る時間以外はアルバイト漬けだ。激しい時は16時間連続で働いたりしている。勿論日曜日も働いていて、僕が奈良を訪ねるに当たっては恐らく時間を、いや疲労をやり繰りしているに違いない。それが証拠に数回連絡をくれ、都合の良い日をころころ変えた。ところが僕が行ける日が限られていて、その上連れていく3人も夜勤の連続だから、相対的に疲労が残らない日を選んで23日と決めた。奈良の5人にとっては一番都合が悪い日だったらしいが、僕は帰国する3人のための旅行だから、5人が揃う必要がないことを理由に23日を変更しなかった。広島の漢方講演会、横浜から来る姉夫婦と一緒に母を見舞うこと、僕の一番大切な漢方の勉強会と連続することも伝えた。すると2回に渡り奈良から「ごめんなさい、ごめんなさい」とまるで連呼するかのようなメールが届いた。理由は、奈良の5人が自分たちのことを優先して、僕の忙しさや「帰国する3人のための思い出作りの旅行」と言うことに想いを致さなかったことに対する懺悔の言葉だった。恐らく彼女たちは無理をして5人揃って僕達を迎えてくれるに違いない。相手のことを思いやる心が十分あることは僕には分かっている。それだからこそ、何度もごめんなさいを繰り返してくれたことが胸を打つ。 昨日、広島、神戸、京都など一人極端に想い出を作ってもらったその女性が突然「ごめんなさい」を繰り返し始めた。えらい「ごめんなさい」が流行っているんだと思ったが、理由は奈良に行けないと言うことだった。23日に日本にいる間に優しく温かく接してもらった神父の最後のミサがあるという理由で奈良に行かないと言うのだ。僕はそれはありうるしかまわないと思った。ところが彼女が行かないと言う理由で他の二人も行かないと言う。二人だけでもいいから行こうと誘っても、その女性が行かなければ行かない言う。ひつこく誘ってもがんとして首を縦に振らなかった。僕は3年間、ほとんど牛窓を出ずに過ごした二人こそ日本のよい想い出とともに帰国してもらいたかったので残念でたまらなかった。僕は数年間、数十人のかの国の人達の希望を叶えるためにかなり智恵を絞ってきたが、今回はいい智恵が浮かばなかった。一人を置いて奈良には行かないと言う友情の前で為す術がなかった。僕が一番尊敬している先生の講演会は絶対譲れないが、いや姉夫婦が最後となるかもしれない母との花見をお膳立てしているのにそれを邪魔することなどできないし、広島は医師の漢方の研究会だし・・・珍しく思案にくれていた。すると突然ある女性が大きな声で何かを喋った。日本語ではないから僕には分からなかったが、その後、行かないと言っていた女性が突然「オトウサン、ワタシ、イク、ゴメンナサイ」と予定を変えた。それこそ一瞬で考えが変わった。するとそれまでうつむいたままだった他の二人が笑顔を取り戻した。2人にとっては3人が一緒に行けることが楽しい旅を保証する全てだったのだ。  僕はかの国の言葉は分からないが、一瞬にして考えを変えさせたその女性が言っただろうことは想像が付く。恐らく数ヶ月から、何人もの人が自分の都合を犠牲にしてもてなそうと計画してきたことを、その日急に得た情報で自分を最優先した翻意を戒めたのだと思う。意見したであろうその女性は、どこに連れて行ってもお寺を見つけたら喜び駆け寄り手を合わせる人で仏教の断食も必ず守るような人だ。その時の彼女の目は鋭くて知性に満ちていた。  僕はしばしば人としての倫理が、神との約束によって踏みにじられるのを体験してきた。昨日の夕方繰り広げられた狭い寮での人間模様を、僕は何よりも優先したい。