翻弄

 車の運転が下手な僕にとって、駐車場ががらがらなのは有り難い。細心の注意を払って駐車しなければならないような店なら、買わずに帰る。それほどまで駐車場の混雑はストレスだ。  このところ隣の市に乱立気味の大型店のおかげで、明らかに客が分散していてどこも駐車場が閑散としている。これなら僕だって安心して停めることが出来る。以前なら入り口から近かろうが遠かろうが、隣の車と接近しないところを優先していたから、入り口から遠いところに停めるのが常だったが、今はそんなことを考えなくてもすんでいる。大手がしのぎを削っているおかげで安全運転が出来ている。  もっともそんなことで喜んでいる場合ではない。大手が田舎の近くまで接近してくるってことは、根こそぎ田舎の商売なんて持って行かれるってことだ。それが証拠に、大手が一つ開店するたびに、親しんでいた田舎の小売店が店を閉める。などと考えていたら田舎だけではなく都会でも同じようなことが進行しているらしい。 今日漢方薬の勉強会があったのだが、都会で開業されている先生が都会の実情を教えてくれた。加えて不景気の時代だから患者さんの出費に限界があり、治療する側にとっても不都合らしい。その点、僕は田舎でずっとやっているから、景気の浮き沈みは余り感じない。都会の人に比べれば田舎の人は浮き沈みではなく「沈み沈み」だからこんな状況は慣れている。元々贅沢は余りしないし、濡れ手に泡の金儲けの経験もないし、人工的なものでストレスを解消しなくても、空も海も青く、山は緑で、空気は透明だから経済で解決しなくても良いことが多い。先行き不透明で頭の中は真っ白の栄耀栄華を経験した都市部とは違う。  何れしのぎを削っている大手のどこかが破れ去っていくのだろうが、その後には廃墟のような建物、荒れた土地、それと失業者が残る。一時ブルドーザーのようにやってきて、いい汁だけ吸ってやがて根こそぎ破壊して帰っていく。くり返される光景に翻弄されないように、漢方薬の職人に徹するしか生き残れないだろう。合理主義や生産性が礼賛される中からこぼれ落ちる人を救えるのも又、皮肉にも合理性や生産性から疎外された職人達なのだ。