「おかげさまであの時、親類中から責められずにすみました。よう好きな酒をのませてくれたと礼を言われたくらいじゃあ」と会計がすんだ後言われたけれど、僕にはその老婆の記憶がない。ただ話の内容から思い当たる人が二人いた。二人とも朝だろうが昼だろうがお構いなしに酒にひたっていた人達だ。当人達は家には居場所がないし、体調を崩しても原因が酒なら家族の同情はもとより望めないから、酒の匂いをぷんぷんさせながら薬を買いに来ていた。こんなことをしていたらいけないんだけれどと、後ろめたさは十分ある。ただ酒の魔力から逃れられないのだ。僕の記憶だとどちらも養子だったと思う。当時は今の養子とは全然イメージが違っていて、何となく頼りなかった。ただ彼らは僕との関わりは楽だったのだと思う。まだ薬剤師の駆け出しだったが、曲がりなりにも白衣を着た男が「好きなだけ飲めばいいじゃない」と言ってくれるのだから。また「好きな酒を我慢してこらからの人生に意味があるの?酒も飲まずに長生きして何の意味があるの?」なんて説得力のある言葉をかけられるのだから、後ろめたさから解放されたのだろう。そのおかげで美味しく酒を飲めたはずだ。どうせ酒飲みは自分の都合の良いようになにでも解釈するから、それらの言葉は奥さんに届いていただろう。好きなだけ飲んで人生を終える、当時そうした助言がはどう聞こえるのか僕は考えなかったが、酒にしか逃げ場がない気の弱い男には、それ以上を望むのは酷だと思ったのだ。  30年近く経って家族から礼を言われたことを思えば、まんざら暴言ではなかったのだろう。恐らく奥さん達も主人を追いやっている原因は気がついていたのだろう。30年近い経験を積んだ今の僕が、当時と同じような助言を酒飲みにたいしてするかどうかわからない。ただ人生を失うほど人生を変えれるものを持っている人に、こじんまりと常識的にまとまって生きているだけの人間が、えらそうに何か言える立場ではない。能力のない僕ら普通の人間はただ背中を押すことくらいしかできないのだ。若い薬剤師は、その人が人の何倍も酒を喰らってその日その日の憂さを晴らすことが出来れば、それに越したことはないと思ったのだ。その日その日を非生産的に過ごした6年間の日々で身につけた僕の中だけで通用する価値観だった。  指導も助言もおこがましくて出来ないのは当時から変わっていない。