価値

 ある写真を見つけて「ベトナム人?」と言った。その写真は僕の母が写っていたものだが、母国の老人に見えたのだろう。老人になると白人も含めて皆同じような顔になっていくのは感じていたが、同じ東洋人だと尚更なのだろう。僕の母がベトナム人に見えるのとは裏腹に、かの国からやって来た二人は日本人に見える。昔、その国あたりの人達を身近に見たことがないから単純に比較は出来ないが、どこの国の人も顔が似てきたような気がする。気候を克服し、同じように快適に暮らし、同じような食べ物を食べるからだろうか、土着の特徴を持った顔つきが減ってきたような気がする。「オトウサン、ナニジン?」と尋ねられたから「白人」と答えたのは、戦後の日本人が持ち続けたアメリカコンプレックスをまだ引きずっているからだろうか。今の僕は明かにかの国の人に代表される東南アジアコンプレックスに陥っているはずなのだが。  話が弾むのが犬にとっても嬉しいのか、かの国の人にまつわりつく。「ワタシノクニ、イヌ、タベル」と悪戯っぽく笑った。片言の日本語で冗談?さえ言えるようになった。若い子の学習能力に感嘆するが、逆はさっぱりいけない。はいとか、いいえとか教えてもらおうとするが、どうも日本人の舌の構造か、動かし方に根本的な違いがあるらしく、いくら耳をそばだてて聞いても同じ音は口から出せない。百面相のように苦労して顔の筋肉を動かすが、なかなかOKは出ない。  仕事が終わってほっとしているところに手料理を作って持ってきてくれるが、思えばバレーボールをやめてから、仕事以外のことで他者とこんなに話し込むことなどなかったような気がする。何気ない、とりとめのない時間の価値を彼女らが僕に思い出させてくれる。