真剣勝負

 100点は取れなかったけれど、許してもらおう。  薬局に入って来るなり「行って来れたよ」と安堵の表情をした。行って来れたと言っても、1週間前の話だから今頃安堵の表情をされても臨場感はない。しかし本人にとっては薬局から出ていったようなものだから、今日薬局に来たことで完結したのだろうか。 牛窓の町内から出ていくのもパニくるような人が、こともあろうに東京に行かなければならないと言う。お子さんの大切な用事で拒否するわけには行かない。お母さんの役目を勇敢にも果たそうとしている。そこで頼りにされたのだが、そのトラブルでずっとお世話してきたわけでないから、一発勝負だ。2泊3日らしいが、漢方薬を飲めるのがまさに前日からなのだ。僕の得意の肝っ玉をつける処方を今更飲むわけには行かない。一発勝負でとにかくパニックを防がなければならない。何が恐怖といってあのラッシュを考えただけでも血の気が引くらしい。特に○○に行かなければならないから、それもラッシュの時間帯に行かなければならないから、彼女にとっては最悪の状況だ。地名も路線名も聞いたのだが、具体的には把握できなかった。有名な地名ばかりだったから、都心をうろうろしなければならないのだろうなくらいは想像できた。夜になれば物音がほとんど消え、狸が自由に徘徊する海沿いの田舎から出て行くには、余りにもギャップがある。特に長年出かけていない人だから、ハンディーはこの上ない。  それが冒頭の言葉で入って来てくれたので、こちらも安堵の表情のお返しをする。自爆していたなら申し訳なくて合わす顔もないが、1回だけパニックに襲われたけれど、その後は「へっちゃら」だったらしい。だからあたかも戦いに行く兵士のように悲壮感漂い出発したが、結構花の都大東京を楽しめたらしい。  パニックを治すように頼まれたのではない。漢方薬を飲んで苦手なその瞬間を乗り切れるように頼まれただけだ。この女性はどんなトラブルでも3日分しか薬を持って帰らない。ずっと30年そうして僕の漢方薬の力を付けてくれた。幸運にも、その様な気の短い患者さんが数人いて、僕を真剣勝負の世界に閉じこめてくれている。そこかしこにいるカリスマ薬剤師のように、数ヶ月かけて効果が現れてくるようでは、この辺りの人は付き合ってくれない。肩書きより実を、饒舌より実を、舞台装置よりも実をとる漁師やお百姓のおじさんやおばさんに鍛えられた。そして僕が当のおじさんになった。