土壌

 この達筆を読んで理解するには、3人がかりくらいでないと出来ない。字そのものも難解だが、文章も難解だ。余程有名な学校を出ているのだろうかと思うが、当時女性はほとんどの人が上級の学校には行っていない。どの様な教育を受けてあのような文章が書けるのだろうと思うが、それが当時の日本人の底力かも知れない。だから教育と言うよりたしなみと言った方が説明は付きやすい。 90歳前の女性が、90歳を過ぎた痴呆気味のご主人の世話をしている。合併して同じ市にはなったが、老人が僕の薬局にバスでやってくるには遠すぎる。まして痴呆の主人を置いては外出できないだろう。介護のせいか姿勢のせいかわからないが、その歳で逆流性食道炎になっている。胃酸がそんなに出るのかと思うが、医師の診断でそうだから疑う余地はない。最近病院でもらう逆流性食道炎の薬が効かなくて頼ってきてくれる人が続いているが、この女性も然りだ。耳が聞こえないという理由で電話連絡も不可能で、この達筆と僕の乱筆との奇妙な文通で治療を始めた。最初の1週間分の漢方薬でとても改善され、今日、最後の葉書で完治だと思うと書いてくれていた。2ヶ月間お世話になりましたと書いてある。その難解な葉書の中で見つけた嬉しい言葉が「嬉しくてぽつぽつと編み物が出来るようになりました」だ。恐らく一時も主人から目を離せないような状況の中で、込み上げる胃酸の不愉快さと同居しての生活だったのだろう。その不快さがとれて編み物でもしてみようと思ったのだろう。  ありふれた症状を治しただけで大したことはしていないが、この様に最終章の日々が楽で少しでも楽しみを見つけてもらえるとこちらの喜びも倍増する。大きなことは出来ないが、小さな喜びを此処彼処に咲かせることが出来る田舎特有の人間関係の土壌に感謝する。