ベニイモタルト

 何の根拠もないが、紅芋と言えば徳島県が有名だと思っていた。妻が近所の八百屋さんで買ったことがあるから、そんなに遠くのものではないと言うのと、テレビで鳴門海峡の映像と共に見た記憶があるからだ。  昨日、ある女性から紅芋で出来た「ベニイモタルト」なるものが送られてきた。見ると沖縄のお土産だ。そう言えば彼女には、2週間くらい前に社員旅行にぜひ参加するように促したのだが、勇気を出して参加したみたいだ。飛行機での旅行、恐らくバス、そしてホテル、全て集団行動だが、彼女は楽しかったと言うお礼の手紙を同封してくれていた。  思えば彼女は学生のときバスに乗るのが怖いと言う相談から始まった。でも結局彼女は段階を踏みながらも、障壁となるものをほとんどを克服して、外国への留学、その後、県では有名な会社への就職を果たし、本人の口から「運がいい」とまで言わしめるほどの青春を送っている。今は困ったときだけ連絡をくれるが、漢方薬を2週間分送ってあげれば、又次なる挑戦まで音沙汰がない。躓きながらも、いやもう躓いていないから、ためらいながらも果敢に青春を生きている。漢方薬を始めた頃一度だけ遠くからわざわざ訪ねて来てくれてことがあるが、とても好感が持てる青年で、もったいないもったいないと僕は心の中で思ったものだ。  治るのが少しゆっくりタイプの人だったが、それはそれでいいのではないかと思える。なぜなら結局は彼女はやりたいことややらなければならないことから逃げていないから。スマートに対処したとはとても言えないが、遣り残して後悔するよりは挑戦して失敗したほうがいい。ただ彼女は失敗していない。運のいい結果をことごとく手に入れている。  効率や結果を執拗に要求され、とても動物としては存在を許されない環境で取り残された人たちが、体のどこかを犠牲にして、それでも懸命に要求にこたえようとしている。僕は現代人の理不尽な体調不良はそういったところが原因だと感じている。持てる年寄り達が経済も政治も握っている。持たない若者たちは、押し付けの秩序に懸命に沿おうと努力して自爆する。この国の若者は自分で自分を傷つけるだけだから、持てる者達はいつも高みの見物。決して傷つかない。  沖縄のベニイモタルトは自然の甘みでブラックコーヒーととてもマッチングした。どうぞ辺野古の海を死守して。