自費出版 最終

           自費出版 第2弾(最終) 2011・4・10  下記の文章を教会報に投稿しましたが、掲載されませんでした。再読しても誰かを傷つけているようには思えませんでしたから図々しくお手元に届けます。

アベマリアとカレーライス  カレーライスをお代わりするなんていつの頃からだろう。美味しかったのか牛肉入りのカレーが珍しかったのか、ついお代わりをしてしまった。2杯目も充分な量が盛られていて一瞬戸惑ったが食べてみればすんなりとお腹に収まった。沢山の人と会話を楽しみながら食べた勢いか、食べ終わった後ももたれた感じはしなかった。若いときの大食いの一瞬の復活劇だ。 何十人分も作ってくれたAさんが僕が2杯も食べたのを見て、その後のコンサートで眠くなるよと言った。丁度歌い手が僕の前を通っていたときだったので「あの美声を聴きながら眠くはならないよ」と答えたのだが、いざ始まってみると睡魔との戦いだった。世界中にアベマリアという曲がいくつもあるなんてのは知らなかった。その中の有名な1曲が偶然耳に届いていただけだったのだ。折角のアベマリアも歌詞が分からないから曲としての感動だけで詩を味わうことが出来なかった。寧ろソプラノの響きは僕のお腹に届いて、果てしない睡魔を呼び起こした。胃を充血させて消化に全勢力を注いだから頭が虚血状態になったのか、歌声が心をリラックスさせてくれたのか分からないが、戦いは9勝1敗で睡魔が勝利した。  その1敗の時間、最前列に腰掛けていた僕は祭壇に飾られている生け花と至近距離で向かい合っていた。頭を上げて聴いていればいいのだが、うっかり船を漕いでいる姿を歌い手に見られたら眠っているのがばれてしまうから、まるで聴き入っているかのように身体を前傾し居眠りしていた。懸命に瞼を開くことができた短い時間は常にその生花と対峙した。単なる結果論だが、僕の人生でこんなに生けられた花を見続けたことはない。目の前にあったから見ていただけなのだが、結構綺麗なものだと思った。真ん中に数本の赤いバラが咲き誇っている。その両脇には百合の純白の花弁と凛と延びたつぼみが位置し、可憐なミモザの黄とかすみ草の白が全体を縁取りし、まるで突如空間にキャンパスが現れたような感じだった。片や咲き誇る勇姿と片やけなげに咲く命のコントラストが興味深かった。  まるで不真面目な聴き手ではあったが熱唱を子守歌に、何も考えない何も作らない弛緩した時間を過ごさせてもらった。ためらいがちに降った雨は満腹の空から落ちてきた安堵の雫だったのかもしれない。

 数年お世話になった教会の皆さんに感謝します。神父様の話をずっと聴かせて頂いて僕は上記のような文章が書けるようになりました。歌い手を讃美することは簡単ですが神父様のおかげで、それに負けないくらい輝いているごく普通の人達が見えます。それはまぶしいくらいの輝きで僕の心に迫ってきます。毎週日曜日に、その様な方達の仲間に入れていただけたのは幸せでした。

Cさん Dさん 僕は○○教会を象徴している家族だと思っています。Cさんを会長に書記をEさん、会計を僕にして、腰痛委員会を作りたかったです。謙虚な二つの家庭を見させて頂いて信仰ってこんなに力を抜いた素晴らしいものなんだといつも思っていました。特にミサの途中でCさんの奥さんが子供達を誘導する姿は好きでした。

Aさん、刑務所に歌で慰問に行っているとふと教えて頂きました。それこそが、実際には日常何も出来ないことの居心地の悪さを感じている僕らに対する救いなのです。神父様の教えを他者に対して少しも実践できていない人間にとっては、それを実行してくださっている人と同じ空間にいることだけが救いなのです。

Eさん 貴女がどれくらいの多くの持てるものを注いで手作りで教会報を作っていたか傍で見ていて良く分かりました。何も手伝っては上げれなかったけれど、貴女が1回でも多く笑って緊張から解放されるのを祈っていました。体力に貯金がないタイプ、でもそれは長生きの証でもあるのですが、なのですから頑張りもそこそこにしてくださいね。

Fさん 僕の長姉と最初からだぶっていました。振る舞い、頭のキレなどがとてもよく似ています。天下一品の即興スピーチにはいつも感心していました。ミサの後頂くFさんのコーヒーと、持ち寄りのお菓子で十分でした。豪華な食事やパーティーで癒されたことは一度もありません。

Gさん 照れながらも主張を忘れない抜群の存在感です。少しカロリーを控えて元気でいて下さい。Gさんの不器用な熱意を種に、皆さんに笑いを届けることが出来なくて残念です。

Hさん  妻に親しくして頂いて有難うございます。これからも宜しくお願いします。

Iさん 上手くいって当たり前の日々のミサのコントロール、大変な知識が必要だと思っています。どのくらいの方があなたに感謝の意を伝えてくださったでしょうね。

Jさん、優しい顔立ちの中で、教会のユニフォームで清掃奉仕をしないなどの凛とした姿勢は立派ですよ。善を行おうとする時に、まず見られることを演出するのに僕も抵抗がありました。貴女の場面場面での判断に芯が通っているのを感じていました。ぶれないその価値観を大切にしてください。

Kさん 死ぬことが恐くないと教えてくれたときから、貴女は僕にとっては信仰の最終目標みたいだった方。何年も何十年も先を歩いている方です。体力を超える頑張りはしないで、心が折れてしまいますから。今朝、一番の電話は、見知らぬ関東の女性からでした。何度も走っている電車に飛び込もうと考えましたと言う方からの相談です。今日から又その女性ともかかわります。僕の関わりは漢方薬を介した経済活動でしかありませんが、その上に沢山の言葉を添えます。勿論沢山の笑いも。その為には僕の心も折れてはいけないのです。今回の判断は唯一このことだけのためです。

Lさん 人の良さでは類を見ない方です。聖書の勉強時間どちらがよく居眠りしていたでしょうね。その後はあなたの方がダントツ前を走っています。

Mさん 心に無理をしないで下さい。落ちこぼれていく人達を是非救ってください。先日の話を即座に理解してくださってありがとうございました。僕は教会に来る人を太陽の光では救えないと思っています。陽の当たらないところに心を置いていた人は、月の光くらいではないと逆に辛いのです。僕の薬局は月の光でありたいとずっと思っています。

Nさん 最後に知り合えて良かったです。あなたが書いて下さった文章は今まで読んだ文章の中で最高の物でした。あの原稿を清書させて頂いたことが光栄です。心も身体も元気でいて下さい。

Oさん あなたの気品はそれこそ天下一品です。教会では母親のようでした。そう思っているのは僕だけではないかもしれませんよ。

Pさん この1年で一番教会で感動した出来事は、あなたと古いスリッパを捨てない事で一致団結できたことです。僕は捨てれない、あなたも捨てれない。偉い人がひつこく捨てろと言っても僕らは頑張りましたね。僕らはきっと同じ考えだったのです。物を粗末にすることと心を粗末にすることは同じですものね。

Qさんの友人達 外車から降りてギターケースを抱えて見せたくない光景をいつも見せていました。後ろめたさの中でも、一番仲良くなりたかった人達です。いつもミサの後残ってFさんのコーヒーでも飲んでいってくれたらなと思っていました。

フィリピンの人達 あなた達のもう50cm近い距離感が僕の心をほどいてくれていました。感謝します。

Rさん 朗読の途中であなたが見せたFさんに対する涙以上にあなたを語るものはありません。それ以上に教会の何を誇らしく語ることが出来ましょう。

もっと多くの方の名前を挙げて感謝すべきですが、顔と名前が一致しない方も多くて申し訳ないと思っています。友人のように話が出来るSさんは意図的に割愛させてもらいました。

 嘗て、色々な宗教を信心している方から同じような相談を受けている。信仰はしたいのだけれど、幹部の方の接し方に不満や不信を抱いて心を病んでいると言う内容だった。当然それが体調に影響し、心身症に発展しているから僕との縁が出来た人達だった。漢方薬のおかげでそれぞれの不快症状はとって上げられたが、僕は現場から離れることも提案した。信仰を持っていない人の方がより謙遜だったりするのも日常だし、神様や仏様とつながることですべてが許されるわけでもない。大切なことは心の中に敵を作らないこと。せっかくの信心が否定や非難に変わったらもったいない。心の中に敵がいない人は病むことが少ないことは長い薬局経験で知っている。  目覚めてからその日の行動を決めればいいのは30数年ぶりかなあ。

教会

そうさ誰もが抱えきれない重荷背負ったとき 坂道を上り たどり着くとこがある ステンドグラスから零れる月の光が 十字架の上の いと高き方を包む

見よう見まねでひざまづいて 手を合わせ 見よう見まねで頭を垂れて 十字を切る 笑顔忘れて涙隠して 生きてきた 怯えて逃げて 逃げて怯えて 揺れる月の陰

何かとてつもない力に すがりたかっただけさ 耳を澄ませば揺れる炎の中で声がする 傷つけて 傷つけられて生きてきた 十字架の いと高き方の 許しを乞う

信じないで 許さないで 傷つけて 笑顔忘れて涙隠して 生きてきた 許さないで 許されないで 生きてきたのに 十字架の いと高き方の 許しを乞う

逃げて逃げて逃げて逃げて ひたすらに 逃げて逃げて逃げて逃げて どこまでも 逃げて逃げて逃げて逃げて いつまでも 十字架の いと高き方の 許しを乞う 十字架の いと高き方の 許しを乞う 十字架の いと高き方の 許しを乞う ・ ・ ・

大和