不運

 不運は1秒でやってくる。1秒もあればさっきまでの日常をいとも簡単に奪われる。これは震災の話ではない。何処にでも転がっている日常の中の一つの出来事だ。  今日見舞いに行ってきた方は機械操作のプロみたいな方だが、耕耘機がズボンを巻き込み畑を耕さずに自分の身体を耕した。もっとも見よう見まねで畑仕事を最近始めた方だから、耕耘機は専門外だ。これがほんとの畑違いだ。こんな文章の導入も、今日見舞いに行ってすこぶる元気だったから許される。病室にいなかったから帰りかけていたら、点滴をぶら下げて帰ってくるところに玄関で出くわした。じっとしているのが苦手な人だからリハビリを兼ねて病院外をウロウロしていたのだろうが、運良く耕耘機の爪が骨盤で止まって腸を粉砕するのが免れたというような悪夢はほとんど忘れている様子だった。救急隊員が駆けつけてくれた時に、耕耘機の爪が身体からはずれなくて彼らが困っていたら、自分でスパナを借りてねじをはずして、爪から逃れたというエピソードが残っている強者だ。現場にいなくて良かった。いたら一緒に救急車に横たわっていたかもしれない。  「1秒よな」と言う僕に大きく頷いていたが、不幸中の幸いの典型だろう。幸いには滅多に遭遇しないが、不幸は小さなものなら幾度となく訪れる。そのたびに上手く交わせる何かがあればいいのだが、熱意や努力だけではどうにもならないことが多い。何かのせいにして忘れるのだが、そろそろ何かのせいにするネタが尽きてきた。自分のせいだといつになったら言えるのかと思うが、僕もその人も「口が裂けても・・・」と言うタイプなので舌の乾かぬうちに残された数少ない標的を狙っている。