表現

 今日は薬局にやって来た方も、漢方薬を送っている方も含めて「何々が出来た」と言う表現が多く聞かれた日だった。今思い出しても6人の「出来た」が浮かぶ。選挙に行けた、自己紹介が出来た、旅行に行けた、姑に意見が言えた、看護を抜けて出られた、彼氏と付き合って1年になる等だ。どれをとってもごく普通の人にとっては出来たという表現ではなく「○○した」の方が適していると思うだろうが、過敏性腸症候群やウツウツとしている人にとっては立派な実績なのだ。漢方薬を作っている僕にとっても一緒に喜びあえる成果なのだ。 僕も実は苦手なのだが緊張はしない。何人ものそれなりの人の前で投票するのは照れくさい。普段良く知っている人なのに、余所行きの顔をして投票箱をにらんでいる。又政党に裏切られるのかと思いながらいやいや投票しているから余計かもしれないが、誰だって気が重いのは同じではないか。 ギャグから入るように提案していたのだが、真面目に挨拶したらしい。それでも出来ましたっていい顔で報告してくれたから胸をなで下ろした。新しい職場で期待もふくらむが人前が苦手な人にとっては拷問を受けるようなものだ。ただ、肝っ玉を強くする漢方薬で意外とこれが解決する。多くの成功例があるから僕は自信を持って勧めるが、何よりも出来ないことを克服すれば人生が何倍にも楽しくなる。 お腹が気になって、いつもならそこから痛みに変わってくるのだが、今回は気になっただけで痛くはならなかった。進歩を実感できたらしい。ただ泊まりがけだったので、帰りに薬が飲めなくて痛みが出たらしいが、過敏性腸症候群が治るものという希望は持てたらしい。 片づけが苦手な姑の乱雑さが気になっていたが、じっと我慢の連続で心身症になった。この方にも肝っ玉を強くする漢方薬とストレスをとる煎じ薬を飲んでもらっていたら、今日は義母に片づけてあげると言えたらしい。体調が良くなれば正しいことは口から出せれる様になる。片づけ大好き人間の長所がこれで生かせられる。 限界を超える介護で心も身体も患っていた。自分の方が重症だ。実際の年齢より10歳くらい高く見えていたが、体調の回復と共にずいぶんと若返って、笑顔も戻って見違えるようになった。介護に縛られて身動きがとれなかったけれど、元気になれば逆に「牛窓漢方薬を取りに行ってくる」なんて言葉を口から出せて堂々と病院から離れることが出来た。後ろめたさを感じない実績に支えられていた。  とても美人なのに恋に自信が持てなかった。でも僕には分かっていた。過敏性腸症候群になる性格こそが男性にとっては魅力なのだと。案の定それからすぐに付き合いだしてもう1年になるらしい。  僕の薬局には、田舎だからかもしれないが、嘘がない。患者さんも僕も、勿論若夫婦達も誠心誠意努力していのは、その誰もが運良く健康すぎる心や身体を持ち合わせていないからかもしれない。患者さんと同じ地平に立てることこそ、僕らスタッフの幸運なのだ。