退散

 何でこのタイミングでこんな記事が載るのだろうと思った。せっかく忘れようとしているのに又思い出してしまう。 ボブディランが念願の中国でのコンサートを開いたのだが、当局の検閲を受け入れて「時代は変わる」や「風に吹かれて」などの代表的なプロテストソングは封印したらしい。「承認された範囲の内容」を受け入れたらしいのだが、フォークの神様としては失望する人も多かっただろう。戦争や社会矛盾に立ち向かわない彼の歌に恐らく感動も共感も半減したに違いない。それに比べて、アイスランドのビョ-クが「独立を宣言しよう」と言う歌詞の後に「チベット」と叫んだのとは雲泥の差だ。  あのボブディランが、詞だけで生きていたような人が、自分の言葉を削ったのは余程苦渋の選択だとは思うが、最初から削られるのが分かって、何を判断基準にしてあのような選択をしたのか後々彼自身の言葉で語って欲しいような気がした。ファンの多くは、今では嘗ての血気盛んだった青年ではないからどんな言葉も風に吹かれるように受け止めることが出来るのだから。  さて世界のボブディランと牛窓のダレモシランを比べるのもおこがましいが、存在価値の天地の差はあるにしても同じようなことがあるものだと思った。片や21世紀で最大の国家にならんとする国が相手、片や小さな教会の騎士気取りのおじさん達。相手にも天地の差があるが、何処にでもうぬぼれが強すぎて頑張れば頑張るほど回りの人達を傷つけてしまう輩がいるものだ。宗教の自由があるところに必ず言論の自由もあるのは当たり前だと思うのだが、自分の都合を優先するのにはばからない。昔、牛窓に帰ってすぐ、地元の青年部という組織に半強制的に入れられたが、これも最終的には忍耐の許容量を超えてしまった。臨界を起こして辞めたときの僕の言葉は、その後多くの人に受け継がれて、それぞれがかかわったことに関しての後悔を少しでも軽減してくれることを期待して自虐的に使う便利なものになった。「馬鹿に馬鹿にされる」語呂がいいから多くの人の耳に残ったのだろう。この屈辱は逃げる以外には解決できない。読者の方もこの自虐ネタを覚えていたら便利だ。永遠に理解できない関係って意外に多くの場であるものだ。身も心も消耗するよりはこのネタを拠り所に退散するに限る。  決まったことには口出しするな、文章は知らない間に検閲に会う、復活祭という大切な日にパーティーを開く。(ある教会は東北の被災者のためのバザーをする)これだけそろったらもう退散するしかなかった。今まで数年間の祈りが何だったのかと思う。あの祈りを返して欲しい。聖堂と言うから子や孫、患者さん達のために頭を深く垂れていたのに、又娘の結婚式も挙げてもらったし、何人かの永遠のお別れもしたのに、それが酔客も出る宴会場にしばしば変わるなんて。  僅か二桁の数の読者の目に触れさせないための画策は、皮肉なことに一晩で1700数十名の目に留まった。何を守ったのか知らないが最も失ってほしくなかった神聖さは僕の中では残念ながら日々消えていった。嵐が過ぎるのを待つだけですと、退散できない人の言葉がいつまでも耳に残る。