指導

ある人を見送っていたら、向こうの方からゆっくりと歩いてくるみすぼらしい男性が見えた。すぐに誰だか分かったから近づいてくるのを待って薬局に招き入れた。朝のコーヒーを僕自身も飲んでいなかったし、彼がコーヒーを好きなことも知っているから丁度良いタイミングだったのだ。 「何か変わったことでもないかな?誰か死んだとか」これが開口一番の挨拶なのだ。もし他人が近くにいてこんな挨拶を聞いたらびっくりするだろう。なんて不見識なと怒られそうだが、僕らの間では十分許容の範囲だ。御法度の裏街道を歩いて人が入りたくないところに入っていたから、同じ年くらいなのに髪の毛はないは、歯はないわで、見ようによっては僕の父親くらいに見える。「髪の毛が生えてくるような薬を頂戴」と言うから、「もう手遅れじゃ、入れ歯を造る方が先じゃろう」と良い指導をした。  昼過ぎに2人連れの女性が来て、各々の煎じ薬を1ヶ月分ずつ作らなければならないので、結構待ち時間が長くなった。退屈させたらいけないので調剤を他のスタッフに任せて話し相手になっていた。すると「うちの息子が新卒で就職して出ていったのに、1週間したらホームシックにかかったと電話してきて週末に帰ってきたんです」と若い方の女性が情けなさそうに言った。「帰りたい家なんて最高ではないの。そんなに温かさを感じる家なんて滅多にないよ。羨ましいわ。いくらでも帰らせてあげて。そのうち帰らなくなって、あなたの方が会いに行くだろう。そしてうっとうしがられるようになるんだから。我が家なんて10年くらい帰ってこないよ」と言うと「先生ところには息子さんがおられたの・・・」と言いかけて何を察したのかそこで話が終わり、何となく嬉しそうな顔をした。良い指導をした。  夕方、「朝目が覚めると、のどが焼けているのがなんとか治らないかな?」と70歳代の男性が相談に来た。理由を尋ねると、焼酎を結構飲むらしい。買い方もケース単位らしいから余程好きなのだろう。「龍角散を飲めば効くかな?」と尋ねられたので分からないと答えたが、焼酎を止めてまで治す気はない。「おじさん、焼酎の量をもっと増やしたら!そしたらのどが焼けるのにも気がつかないだろうから、飲みまくったらいいんだよ」と助言すると嬉しそうに帰っていった。その後ろ姿を見て思った。良い指導をしたと。