絶望

 東日本の方には悪いけれど、この辺りで放射線についての話が出ることはほとんど無い。ヨウ素以外にも検出されるようになったが、危機感は西日本を通り越して韓国や中国、はてはインドの方が深刻だ。西日本人の寛大さか、勇気か、諦めか分からないが、今でも雨に濡れて小学生や中学生が歩いている。 そんな中で次元が違う嘆きを聞いた。初めて相談に来た若い女性だが、焼き物作家志望の女性ならではの気付きか、あるいは持って生まれた繊細さかしらないが、放射能に汚染される魚や鳥たちのことを心配していた。「人間だけではないのにね、鳥や魚だって・・」と悲しげに、まるで独り言のように言った。この視点で放射能について語った人は初めてだ。マスコミや報道の中でも聞かなかったし、まして巷でもなかなかあり得ない視点だ。それもぼそぼそとつぶやいたところが本心を現している。脚本のないつぶやきに人間様の視点しか持てない僕はいともたやすくノックアウトされた。  肩書きを持った人間の保身の言動ばかりを見せられているから、このような素朴さが余計際だつ。土に向かって無心に造形する人達の、特に志の初期にある人達の素朴なつぶやきに、こんな事態を引き起こした「いい目をした人達」に対する嫌悪が込み上げてくる。勇気ある行動と讃えながら安全地帯で尚いい目をする人達と、勇気ある行動と讃えられながら、孤独な闘病を余儀なくされるかもしれない人達の縮めることの出来ない人の価値に絶望する。